半坪ビオトープの日記

積丹半島、神威岬へ


翌朝早く、積丹半島の南の付け根にある岩内から時計回りに半島を回り始める。再稼働が問題となっている泊原発のある泊村は、なにやら異様な静けさに包まれている。村役場を過ぎると海岸線には岩場が見え始め、そろそろ神恵内(かもえない)村に入る辺りに弁天島が見えた。白く細い橋を渡って島を巡る遊歩道があり、磯遊びができそうだが岩場は危なさそうだ。釣り人には人気のスポットらしい。

トンネルがいくつも続く海岸線を30分ほど進むと、テトラポットを並べて護岸している窓岩海岸に至る。名前の通り岩の真ん中に小さな窓のような穴が空いているのだが、角度が悪いせいかあまりよく見えないのが残念だ。

窓岩の先に見える島のような岩礁は、ジュウボウ岬である。ジュウボウ岬は砂州で右の陸地とつながっているので、地図で見るとジュンサイのような形をしている。その砂州一帯は西の河原という霊場となっていて、アイヌ語では「カムイミンタラ(神の遊びしところ)」と呼ばれていた。昔より船の往来の難所で、「地獄の賽の河原」と恐れられ、難破船の残骸も見られるという。

西の河原トンネルと大天狗トンネルを抜けて振り返ると、かなり海に突き出ている沼前岬が見える。

前方には神威岬に連なる断崖が見える。その右手の奥に黒く大きな岩が立っているのがかすかに認められる。その岩がタコ岩で、高さは30mあるという。

神威岬にほど近い屋根内地区を見下ろす崖は、今にも崩れそうなほど切り立っている。

ようやく積丹半島の絶景地「神威岬」に着く。広い駐車場の周辺からすでに神威岬自然公園となっている。駐車場の右手には展望広場があり、シャコタンブルーの海に突き出る神威岬と神威岩が見える。

駐車場奥の尾根沿いの遊歩道を進むと、一番高いところに女人禁制の門がある。この付近は古くから海上交通の難所として知られていた。日高地方平取のアイヌの首長の娘チャレンカが源義経を慕ってこの岬まで義経一行の後を追ってきたが、すでに海の彼方へ去ったことを知って身を投げ、神威岩になったという言い伝えがある。チャレンカの嫉妬心が女を乗せた船を転覆させたことから、岬一帯が女人禁制の地になったとされる。しかし現実には、和人が岬から奥地へ定住することで、ニシン漁を始めとした権益を損なうことを恐れた松前藩による規制と考えられている。安政2年(1855)に蝦夷地一帯が幕府直轄下に置かれると女人禁制は解かれ、奥地への定住が進んでいった。女人禁制の門から「チャレンカの道」が始まる。

岬の先端までおよそ700m続く「チャレンカの道」は、波のように起伏に富んだ道で、景色はいいが一旦天候が悪くなると強風が危険なので、女人禁制の門が男女禁制の門に変わる。

間もなく右手に小さな「念仏トンネル」を眺める場所がある。神威岬灯台がかつて灯台守によって運用されていた時代、灯台へのアクセスは険しい海岸線を利用するとても危険なものだった。灯台守の家族が荒波にさらわれ死亡する事故が起きたことをきっかけに、村人によって手掘りで掘られたのが「念仏トンネル」である。トンネルを両側から掘り進むうちに食い違いが生じたので、鐘を鳴らしながら念仏を唱え、その音で掘り進む方向がわかり開通したので「念仏トンネル」と呼ばれる。全長60mのトンネルで、大正7年(1918)に開通したが、現在は立ち入り禁止となっている。トンネルの50mほど左手にある大岩は、「水無しの立岩」という奇岩で、高さが20mほどある。少し薄くなっていて見る角度により幅が広がるので、地元では俗に「女の一生岩」とも呼ばれているという。

「チャレンカの道」の左手前を振り返ると、先ほど沼前岬と反対方向に見えたタコ岩を神威岬からも認めることができた。

それにしても右手の念仏トンネルに続く波打つ断崖絶壁の奇観には恐れ入る。立ち入り禁止とされるトンネルを見に行く人が絶えないといわれるが、結構ゴミが溜まっているそうだ。