半坪ビオトープの日記

島武意海岸、積丹海鮮料理


神威岬から積丹半島最北端の積丹岬に向かう。岬入口の駐車場から自然遊歩道を左に進むと20分ほどで積丹岬に着く。右に遊歩道(シララの小道)を1時間弱進むと、女郎子(じょろっこ)岩を眺められる展望台がある。その女郎子岩には、入舸の酋長の娘シララの悲恋伝説がある。恋仲になった義経が逃亡のため密かに旅立ったのを知ったシララは絶壁の上から海に身を投げ、女郎子岩になったという。積丹岬も女郎子岩も時間がかかるので、正面のトンネルを抜けて島武意(しまむい)海岸を眺めることにする。このトンネルは明治28年に手彫りで掘られた約30mのトンネルで、ニシンをもっこに入れて背負い、干場に搬送していたという。

真っ暗な狭いトンネルを抜けると展望台があり、神威岬とともに積丹半島を代表する景勝地である島武意海岸が見下ろせる。地名はアイヌ語の「シュマ・ムイ」(岩の入江)に由来する。

島武意海岸は多くの奇岩と透明度の高さで知られ、「日本の渚百選」にも選ばれた海岸で、積丹ブルーの日本海の美しさには定評がある。

海岸に面する急な斜面には、先ほど神威岬で見かけた青紫色のエゾエンゴサクの花の他に、鮮やかなピンク色のカタクリ(Erythronium japonicum)の花がたくさん咲いていた。

標高70mの展望台から九十九折の道を海岸まで降りることができるが、戻ることを考えて少しだけ降りてみた。大きな屏風岩が堂々と構えて絶景を作っていて、カモメやオオワシなども観察できるという。この屏風岩越しに沈む夕陽は、写真愛好家の人気の的となっている。

海岸に降りてすぐ右手には、石垣が組まれた屋敷跡があり、それはかつてニシン漁の親方・斉藤家のニシン番屋だったという。

ソーラン節で名高い積丹町のニシン街道を東に余市に向かうと、ほどなく美国港を通る。ここからは水中展望船が出ていて、海の中を眺めながら、積丹岬神威岬、黄金岬などの景勝地を巡ることができる。美国の地名は、アイヌ語で「ビク・ウニ」(小石・ある)に由来する。
美国にもアイヌの娘・チャシナの悲恋伝説がある。首長シャシナイは、娘・チャシナと召使いの若者との恋に猛反対して若者を軟禁。その頃、美国の沖に怪物が現れてニシンが全く獲れなくなり、首長は退治した者は娘の婿にするとお触れを出したが、志願者は皆、命を落とした。困った首長は娘の恋人を送り出し、若者は夢の中で女神にもらった兜と剣で見事に怪物を退治した。ところが父に約束を守るつもりがないことを知ったチャシナは、あの世で結ばれようと海に身を投じた。それを知った若者も続いて身を投じると、翌朝、兜と剣の形の岩が現れ、ニシンの大群が押し寄せた。以来、兜のような島を宝島、剣のような岩を立岩と呼んでいる。積丹の海鮮が美味しいと評判の美国漁港があるため、店を探しながら美国の市街地のはずれ厚苫の海岸に出た。

その厚苫の海岸沿いに、名前の通り見晴らしの良い海鮮料理屋があったので立ち寄った。

生ウニ料理が自慢の店なのだが、今は季節ではないといい、獲れたてという活イカ料理を勧められた。店のおばさんが請け負った通り、新鮮な活イカはコリコリとして美味しかった。

大きな活ホタテ貝の刺身も、肝やヒモまでとても新鮮だった。

こちらの活アワビのバター陶板焼きも、柔らかさの中に海の恵みを感じさせる滋味を満喫できてよかった。

雨が降り出したニシン街道を余市に向かうと間もなく、左前方に尖った大きな岩が見えた。高さ約80mのセタカムイ岩である。セタカムイとは、アイヌ語で「犬の神」という意味をもち、いくつもの伝承がある。昔、ラルマキという若い漁師が犬と一緒に暮らしていた。ある日ラルマキは漁に出かけるが、大時化のために遭難して還らぬ人となってしまった。しかしそれを知らない犬は、飼い主の帰りを待って嵐の中を鳴き続け、嵐が止んだ時には岩になっていたという。