半坪ビオトープの日記

洞爺湖、遊覧船


登別から洞爺湖へ向かう途中、道央自動車道から右手に昭和新山が木々の間から垣間見え、まもなく有珠山がその全貌を表す。大きな洞爺湖はその向こう側にある。

その先3分ほどで、長流川橋(おさるがわばし)に差し掛かる。伊達市長和町の長流川に架かる長流川橋は、高速道路が河川を渡る橋梁として日本最長の1,772.5mを誇る。標識には「高速道日本一橋長1,770m」とある。ちなみに東京湾を渡るアクアブリッジは、全長4,384mある。

洞爺湖は、虻田郡洞爺湖町有珠郡壮瞥町にまたがるカルデラ湖である。湖中に浮かぶ中島巡りの遊覧船があり、中島に下船しなければ50分で遊覧でき、下船すると30分単位で散策の時間をとることができる。桟橋の東南には、洞爺湖畔にそびえる昭和新山有珠山が見える。

洞爺湖の面積は、70.72平方キロメートルあり日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖支笏湖に次いで3番目の大きさである。桟橋から正面の中島に向かい、真北に進むと羊蹄山(ようていざん)の雄姿が見える。標高1,898mの成層火山で、後方羊蹄山(しりべしやま)として日本百名山に選定されている。旧名・後方羊蹄山は、斉明天皇5年(659)に阿部比羅夫が郡領を置いたと日本書紀に記されている地名・後方羊蹄(しりべし)に由来する。後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊蹄を和名で「し」と読む。

アイヌの人々はマッカリヌプリ(真狩山)もしくはマチネシリ(雌山)と呼ぶ。蝦夷富士の別名も持つ羊蹄山は、5月上旬でも全山雪に覆われていて、独立峰のため姿が美しい。山頂には直径700m、深さ200mの火口があり、登るには5時間前後かかる。若い時にトムラウシ山から大雪山を数人でキャンプしながら縦走した後、帰り道に羊蹄山に単独登山したが、久しぶりに羊蹄山を眺めていると、半世紀ほど昔のその頃のことがいろいろと思い出された。

桟橋のある洞爺湖温泉を振り返って眺めると、温泉街の後ろには有珠山が聳えていた。20世紀に4回大噴火した有珠山の火山活動の真っ只中に温泉があるのがよくわかる。

洞爺湖の中央に浮かぶ4つの島を総称して中島と呼ぶが、大島(ポロシリ)・弁天島(トプモシリ)・観音島(カムイチセモシリ)・饅頭島(ポンモシリ)の中で一番大きい大島のことも、普通に中島と呼ぶことが多い。
洞爺湖遊覧船は中島の手前を時計回りに近づいていくが、その手前に二つの島が見える。はじめの島は弁天島で、江戸時代末期から弁財天が祀られている。

弁天島の次の島は観音島であり、江戸時代には仏師円空の観音像が安置されていたという。

弁天島と観音島は砂州でかすかにつながっていて、砂州の向こうには昭和新山の姿が眺められた。

弁天島と観音島を右手にやり過ごして、左手の中島との間を進むと中島の桟橋が見えてくる。桟橋の左手には別の遊覧船が停泊している。

左に回り込んで桟橋に近づくと、後方に大きな有珠山と左には小さな昭和新山の尖った姿が認められる。

中島の桟橋の左手には鳥居や社が見える。大黒、天神(菅原道眞)、恵比寿が祀られているお堂が並んでいる。