然別湖は、大雪山国立公園の南東端にあり、北西端にある旭川に帰るには約200kmもあるので、帯広、日高峠を越えて、十勝岳の麓の白金温泉を経由することにした。
帯広百年記念館は、開拓団体の晩成社が帯広に開拓の鍬を下ろした明治16年(1882)から百年目の昭和57年(1982)に開館した。博物館では、十勝の歴史・産業・自然を紹介し、アイヌ民族文化情報センターも併設している。また近年、埋蔵文化財センターを分館として設置している。
館内に入ると、「マンモスのいた風景」として、約2万年前の十勝平野の初夏を再現したジオラマからはじまる。
明治16年に依田勉三(右)、渡辺勝(中)、鈴木銃太郎(左)の三幹部が率いる晩成社の民官移民団が帯広に入植して開拓が始まったが、開墾は計画通りに進まず苦しい歩みを続けた。明治19年(1886)に発足した北海道庁は、明治29年に十勝の植民地を開放した。その後、無償で開墾地が払い下げられると、ようやく十勝への移民が急増することになったという。
十勝の自然コーナーでは、ヒグマ、エゾシカ、キタキツネなどに加えて、エゾナキウサギの標本があった。北海道の北見山地や大雪山系、夕張山地、日高山脈などの主に800m以上の高山帯のガレ場に生息する。岩の隙間から顔を出し、「キィッ」とか「ピィーッ」などと鳴く。体長が10~20cmと小さく可愛い。
十勝のチョウも70種ほど展示されていたが、エゾシロチョウやエゾヒメシロチョウに加えて、オオモンシロチョウが興味をそそった。オオモンシロチョウ(Pieris brassicae)は、ヨーロッパ原産のチョウで、1995年に北海道で初めて確認された後、青森県などでも発見されている。モンシロチョウより一回り大きいが、幼虫がカラフルなほかはよく似ている。
約2万年前の旧石器時代から、縄文時代、続縄文時代を経て、約千年前に始まる擦文時代まで、発掘調査で十勝から出土した土器や石器などを多数展示している。
十勝には黒曜石の産地もあり、その石器が多数見つかっているが、とりわけ暁遺跡からは、細石刃と呼ばれる北方系の細かい石器が8000点以上発見された。旧石器時代最終期の細石刃文化は、シベリア経由の北海道では約2万年前、中国黄河経由の九州では約1万4千年前に伝わったという。槍や銛の先に埋め込んだ替え刃式の石器である。
帯広市大正3遺跡から発見された縄文時代草創期の土器は、年代測定で1万4千年前という結果が示され、北海道で最も古い土器と確定した。この草創期の土器は、爪形文土器と呼ばれている。
稲作が伝わらなかった北海道では、弥生時代の代わりに続縄文時代があり、7世紀後半位から擦文時代となる。土器の表面に木の板で擦った跡があるので擦文という。
12~13世紀頃に擦文文化からアイヌ文化へと移り変わり、十勝でも各地にコタン(集落)が形成され、独自の文化を築き上げてきた。狩猟や漁労、植物採集、交易などを中心にした十勝のアイヌの生活の様子が資料とともに紹介されている。