半坪ビオトープの日記

2017-01-01から1年間の記事一覧

那岐神社、みたけ園

菩提寺から北東に進み、県境にそびえる那岐山の北側に回り込むと、那岐神社のある鳥取県の智頭町に至る。那岐山(1255m)は全体が古くから神として崇拝され、那岐大明神(奈義神)と呼ばれていた。のち宇塚村内に勧請され五穀豊穣の祈願がなされ、天徳年間(…

菩提寺

津山から北東方向に那岐山(1255m)があり、その南麓にある菩提寺に向かうと、すぐ手前に那岐山麓山の駅があったので立ち寄った。アルプスの民家を模した山の駅には、ウィンナーや豆腐作りなどの加工体験や農業体験メニューがあり、コテージに泊まることもで…

中山神社

津山市一宮にある中山神社は、美作国唯一の式内社の名神大社であり、美作国一宮である。二宮の高野神社とともに『今昔物語』『宇治拾遺物語』にもその名がみえる。折口信夫、池田弥三郎らは、『古今和歌集』にみえる「吉備の中山」を当社に比定している。 寛…

安養寺(会陽)、奥津峡 

古代、美作国は、国分寺や総社、一宮の中山神社などが集まる中央の津山盆地が中心だったが、今の美作市がある東部は古くから仏教が栄え、近世には因幡往来・出雲往来が通過し、交通の要所であった。美作市役所の近くに真言宗の間山二王院安養寺がある。昔、…

オタマジャクシからカエルへ

オタマジャクシは茹でホウレン草をよく食べる。イモリの餌にしている赤虫(ユスリカの幼虫)をあげてみたが食べないようだ。 孵化を始めてから約3週間経った。42匹数えられたうち、ほとんどは大きく育っているのだが、5匹は小さいままで発育不良だ。 オタマ…

カエルの卵の孵化

3月中旬に茨城県北部の里山で、カエルの卵塊を見つけた。今までの経験から推定すると、直径約12〜3cmの卵塊だったので、元の大玉には約1,500個の卵が入っていたはずだ。 容器を持っていなかったので、掌に乗る分だけ持ち帰った。約150個の卵を4つに分けて、…

津山洋学資料館、城東

津山城跡の東裾を流れる宮川に架かる宮川大橋を東に進むと旧出雲往来である。道が直角に曲がった鉤曲がりは、城下の雰囲気を漂わせ、両側には往時を偲ばせる出格子窓、海鼠壁、袖壁などを残す商家が約1.2km軒を連ねる。中央やや東よりにある城東むかし町家(…

津山城跡、衆楽園

古代の吉備が3国に分国された後、和銅6年(713)に備前国から北に位置する美作国が分国された。鉄資源を吉備氏から直接大和政権の管理下において、吉備氏弱体化が図られたといわれる。 その後、美作には安定勢力が出現せず、周辺勢力の草刈り場となってい…

誕生寺、客殿

御影堂の右手には、庫裏・客殿(方丈)・中門・唐門・袴腰鐘楼が並ぶ。中門をくぐり客殿入口の唐門を入ると、有料(200円)だが客殿と庭園を拝観できる。 客殿は文政12年(1829)の再建である。客殿内部は、鶴の間、唐獅子の間、表上段の間、鷹の間、虎の間…

誕生寺、御影堂

志呂神社から10kmほど北の久米南町に誕生寺がある。浄土宗他力念仏門の開祖・法然上人の誕生地とされる地に建立された、法然上人二十五霊場の第一番とされ、浄土宗の特別寺院で、山号は栃社山と号する。目を瞠るほど大きな山門は、正徳5年(1716)に建造さ…

志呂神社

同じ建部町の豊楽寺から2kmほど北の、三樹山の麓に志呂神社がある。志呂宮の名で親しまれている。向拝を設けた拝殿の後ろに、これまた長大な向拝を備えた本殿が厳かに構えている。 社伝では、美作国が備前国から分国した和銅6年(713)に、弓削庄27カ村の…

豊楽寺

岡山城下を発して北に向かい、建部を経て津山城下に入る道が、備前と美作を結ぶ津山往来であるが、その途中の建部町に静謐山豊楽寺(ぶらくじ)がある。高野山真言宗美作八十八ヶ所第二十一番札所である。寺伝によれば、和銅2年(709)玄硃が開山したしたと…

岡山後楽園

岡山市の中心部にある後楽園は、金沢市の兼六園、水戸市の偕楽園とともに日本三名園に数えられている大名庭園である。江戸時代初期に造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。 後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永…

吉備津彦神社

備前国と備中国の境の吉備の中山(175m)の北西麓に北面して、備中国一宮・吉備津神社が鎮座しているが、こちらの北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。主祭神は吉備津神社と同じく大吉備津彦命だが、草創期には中山全体が神域であったとみられ、…

吉備津神社

岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備の中山(175m)の北西麓に北面して、備中国一宮・吉備津神社が鎮座している。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。両社とも主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命…

倉敷、大原美術館 

岡山市の西、総社市の南に倉敷市がある。古来より交通の要所で、高梁川の支流・倉敷川は運河として利用され、江戸時代には商人の町、明治時代には繊維産業の町、近年は工業都市、そして文化観光都市として発展して来た。その中心に白壁や倉敷川に沿った柳並…

総社宮、拝殿の絵馬

総社宮が貞享4年(1687)に再建された翌年、彩色二十四孝の絵馬が奉納された。これにより商家の信仰が増し、豪商の西戎屋等により京都の一流画家の描いた絵馬が奉納されるなどして繁栄した。周辺は門前町・宿場町として発展し、のちの総社市の礎を築いた。 …

備中国総社宮

岡山市の西隣の総社市に備中国総社宮がある。創建は不詳だが由緒書によると、総社ができる以前、当地には仁徳天皇の皇妃・八田皇女の名代として八田部(八部)が設けられたという。のち御友別(応神天皇妃の兄)の子孫が当地に移住し国造となり、野俣神社(…

大避神社、生島

兵庫県の西南端にある赤穂温泉に泊まった翌朝早く、瀬戸内海三大祭りの一つ「坂越の船祭り」で知られる坂越の大避神社に向かった。今の坂越は「さこし」と呼ばれるが、元の呼称は「シャクシ(シャクジ)」で、尺師・釈師と記す。天然の良港をもつ坂越は、赤…

鶴林寺

姫路の東、加古川周辺には、浄土寺、一乗寺、鶴林寺などの名刹が多くあるが、時間の都合で播磨路の古刹、鶴林寺のみ訪れた。仁王門は三間一戸の楼門形式で、階上に坐禅堂をもつ。屋根は入母屋造本瓦葺で、大棟に鬼瓦が構える。室町時代に本堂の細部に倣って…

姫路城、大天守から

大天守からの展望を楽しんだ後は、ひたすら下っていく。これは3階の東大柱である。東大柱は上下で継がれることなくそのまま伸びている。根元は腐ったために補修を受けたが、元々は長さ24.8mの樅の一本柱である。西柱と同様、所々、金属のバンドで補強がされ…

姫路城、大天守

「水ノ一門」から渋滞となったが、ようやく天守入口に着いた。朝早く並んで入手した登閣整理券が、本日は発行数が少ないからと無効とされ、昼過ぎにもう一度並び直して一時間もかかったことになる。全く不可解な措置だ。 姫路城は、江戸時代以前に建設された…

姫路城、大天守入口へ

好古園から東に姫路城の内堀に沿って進むと、武者溜りに姫路藩和船の乗船場がある。2013年に復元されてから、内堀をめぐる観光和船が人気を集めている。 姫路城の正面玄関である大手門には、江戸時代、内堀を渡るために木橋が架けられていた。現在の桜門橋は…

好古園

姫路駅で東京から新幹線で来る友人と合流し姫路城に向かい、城の左手にある好古園で昼食後、好古園を見て回る。正式名は、姫路城西御屋敷跡庭園好古園という。好古園とは、江戸時代に現在のこの庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因む。 姫路城の南西に…

書写山円教寺、奥の院

「三之堂」からさらに奥へ進むと、「奥の院」に出る。左から護法堂拝殿、開山堂、護法堂、不動堂と並んでいる。一番左手前の護法堂拝殿は、珍しく右手の護法堂と広場を挟んで離れて向かい合っている。神社形式を取り入れた仏殿様の風変わりな建物で、天正17…

円教寺常行堂、大講堂、食堂

書写山の山上にある円教寺は、康保3年(966)性空の創建と伝わる。もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前にその地に祠が祀られていたという。山号の由来はこの「素盞」といわれ、姫路市と合併する…

書写山円教寺、摩尼殿

2016年8月に法然の故郷、岡山県の誕生寺と菩提寺を訪ねる旅に出た。ついでに姫路城や大原美術館、吉備津神社や後楽園にも立ち寄り、日本海側に出て玄武洞や天橋立、気比神宮や琵琶湖の竹生島まで見て回った。朝5時に東京から車で出かけたが渋滞に逢い、姫…

ホウレン草のラムカレー

レヌ・アロラのインド料理のレシピを参考に、ホウレン草のラムカレーを作った(4人前)。 ① ホウレン草2束(500g)をよく洗い、鍋で茹でて3等分に切る。 ② 水50ccを加え、ミキサーにかけてペースト状にする。 ③ タマネギ3個(500g)をすりおろすか、ごく…

チーズベーコン・パイ

宴会に一品つまみを持参するため、チーズベーコン・パイを作った。 ① 市販のパイシート(100g)2枚を取り出し、10分ほど解凍する。 ② 小麦粉をしっかりふって、綿棒で伸ばす。 ③ スライスチーズを2枚並べ、両脇にベーコン2枚を並べ、黒胡椒を散らす。 ④ …

名残惜しい沖縄料理

南部戦跡巡りの後、残りの時間を国際通りの散策に出かける人を見送り、車を返しに空港へ向かう。その後、土産物を買い求めてから最後の沖縄料理を楽しんだ。 これは、その前の昼食に、首里城近くの「ななほし食堂」で食べた「ゆしとうふ」。ななほし食堂は地…