半坪ビオトープの日記

姫路城、大天守


「水ノ一門」から渋滞となったが、ようやく天守入口に着いた。朝早く並んで入手した登閣整理券が、本日は発行数が少ないからと無効とされ、昼過ぎにもう一度並び直して一時間もかかったことになる。全く不可解な措置だ。
姫路城は、江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、最大の城郭建築である。世界遺産としての大天守、西・乾・東小天守からなる連立式天守群が魅力で、イ・ロ・ハの渡櫓で連結されている。外観は5層の屋根から5階建と見えるが、内部は地下1階、地上6階あり、5重7階の構成とされる。天守閣内に入ると順路に沿って回りながら階段を上がっていく。中層階より外の景色を眺めると、東西に長く連なる北腰曲輪の建物が見下ろされる。腰曲輪には、籠城のための井戸や米蔵・塩蔵が設けられている。

腰曲輪は東西両端に櫓を設け、ゆったりと弧を描く長屋のような多聞櫓で繋がっている。

北東方向の下に見えるのは、搦め手口に通じる「とノ一門」である。門の形式としては櫓門であるが、古風な佇まいの素木(しらき)造りなのが特異で、門扉も一枚板ではなく縦格子の半透かし扉である。

「とノ一門」の右手(東)に見える小さな棟門は、「ちノ門」である。門に隣接して小さな番所がある。

出格子窓から外をのぞいて見ると、ちょうど南側で、本丸の備前丸が眼下に開け、その先に二の丸、三の丸広場が続き、最後に幅広い大手前通りが姫路駅に通じている。

上層階に上がるにつれてまたもや混み出した。狭くなった階段の脇には大きな柱が建っている。大天守を支える2本の大柱の一つで、3階で上下に継ぎ合わされ、地階から5階まで見ることができる。長さは24.8mあり、直径0.95mである。上部が栂で、下部が樅(もみ)であったが、明暦2年(1656)、貞享4年(1684)に補強された後、昭和の大修理(S31-39)では蒸腐りを起こしていたので檜材に取り替えられた。

天守の最上階、6階のみ書院風に造られている。廻縁の床面より内陣の床面の方が少し高く、竿縁天井が設けられている。中央北側に小さな長壁(おさかべ)神社があり、刑部神社ともいう。姫路城ができる前から祀られていた姫山の地主神で、姫路城の守護神であり、刑部神と富姫神として祀られている。江戸時代には「とノ二門」「とノ三門」の間に鎮座していたが、明治12年にここに遷座した。市内には他に播磨総社境内と旧城下町の竪町にも祀られている。

最上階の窓から南を眺めると、大きな鯱瓦の先に三の丸広場が見下ろせる。通常、鯱瓦は仁王像や狛犬などのように「阿吽」一対となっており、口を開けているのが「阿」で雄、閉じているのが「吽」で雌とされる。ところが姫路城では2体とも雌の鯱となっていて、全国的にも珍しいという。

北を眺めるとシロトピア記念公園が大きく眺められる。平成元年に市政100周年記念で開催されたイベント会場跡地を整備して造られた。左手の小山は、『播摩国風土記』にも名のある男山(57.5m)である。