半坪ビオトープの日記

安養寺(会陽)、奥津峡 


古代、美作国は、国分寺や総社、一宮の中山神社などが集まる中央の津山盆地が中心だったが、今の美作市がある東部は古くから仏教が栄え、近世には因幡往来・出雲往来が通過し、交通の要所であった。美作市役所の近くに真言宗の間山二王院安養寺がある。昔、勝南間山に聖徳太子により創建されたと伝えられ、古くは高福寺と称していたという。天正元年(1573)に焼失し、その後安養寺と改め、元禄10年(1697)に現在地に移されたという。山門の手前には鐘楼が建っている。

山門は三間一戸の薬医門で、珍しく薬医門の仁王門となっている。山門の右には観音堂が見える。
安養寺観音堂は、美作市無形文化財「会陽」(裸まつり)が開催される会場としても有名である。毎年2月第2土曜日に行われる会陽では、県内各地から集まるまわし姿の男たち数百人が福男目指して、激しい真木(しんぎ)の争奪戦を繰り広げる。無病息災・家内安全・商売繁盛等の大護摩供の後、陰陽2本の本真木と80本の副真木に願いが込められ、太鼓を合図に観音堂福窓から真木が投下されると、全ての明かりが消され、歓声が上がってもみ合いが繰り広げられる。裸まつりとしては岡山市西大寺会陽もよく知られた奇祭だが、安養寺会陽は県下最古級の約800年の伝統をもっている。

本尊の木造十一面観音立像は、平安時代の作で、像高109.3cm、檜の寄木造、漆箔、彫眼で、国の重文に指定されている。しかし、中をのぞいた限りでは見当たらなかった。

観音堂の右手にある大師堂には、播磨、美作七福神毘沙門天が安置されている。裏手にある庭園は、森氏居館時代の文禄、慶長初年の作庭とされ、美作市の名勝に指定されている。立石の多い小堀遠州流の庭園で、枯山水の築山と前庭の亀島の眺めがよいといわれる。 

大師堂の右手には本堂である持仏堂が建っている。弘法大師像や阿弥陀仏像が祀られている。

観音堂と大師堂をつなぐ渡り廊下の下をくぐり抜けて進むと裏山に向かう。裏山にある88ヶ所には、金比羅鎮守堂、子安地蔵尊、粟嶋大明神などが祀られている。

美作から再び津山に戻り、市内を流れる吉井川の上流に向かい、奥津温泉に泊まった。美作三湯の一つとされる奥津温泉は歴史が古く、江戸時代より開かれて温泉街が形成された。「足踏洗濯」が行われる露天風呂を中心に、川沿いに風情ある老舗旅館や民宿が立ち並ぶ。

1954年にウラン鉱石が発見されて有名になった、人形峠につながる吉井川源流に臨む奥津渓谷は、花崗岩の板状節理や東洋一ともいわれる臼渕の甌穴群、天狗岩の奇岩など自然の織りなす景観に優れ、国の名勝に指定されている。奥津温泉のすぐ近くにあり、とりわけ紅葉の時期は美しいとされるが、残念ながら激しい雷雨に見舞われ、立ち寄ることができなかった。

岡山県は中国地方の中でも地ビールが盛んなところで、多くの地ビール工場がある。中でも「作州津山ビール」は、加茂川の伏流水を使った「多胡本家酒造場」のビールである。このケルシュ「ITSUHA」は、淡色麦芽とファインアロマホップを使い、上面発酵方式で作られたキレのある味わいが特長である。