半坪ビオトープの日記

2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧

暮坂峠、たんげ温泉

暮坂峠に向かう道に入ると、牧水の歩いた道・若山牧水歌碑の案内がいくつか現れる。花敷温泉から暮坂峠までの牧水コース散策案内では、14の詩歌碑が記されている。ここはその5番目の詩歌碑で、「うららかに峰は晴れたれ我が登る山そばみちの路のゆくてに」…

世立八滝、大仙の滝

野反湖やその手前の尻焼温泉などの地域を、今は中之条町六合(くに)地区というが、平成22年の合併前は六合村であった。六合村は明治33年(1900)に草津村から分かれたが、明治22年(1889)に草津村となる前に6つの独立した村だったため、6つの大字を合わせ…

野反湖畔

1時間程下って車道に出た。反対側の登山口である。下り道は展望がほとんどなかったので、こちらから登るのは面白くない。これから野反湖畔を真っ直ぐ南進して富士見峠に戻る。 湖畔に下る道沿いにもいくらか花が咲いている。この小さな花は、ユリ科のチゴユ…

八間山下山道

八間山山頂には壊れかけた避難小屋があり、その脇を北に向かって下り始めるとまもなく、右手に白砂山(2139m)への登山道が分かれていく。野反湖を囲む三壁山(1974m)などの山々の向こうには、岩菅山(2295m)や裏岩菅山(2341m)などの志賀高原の高峰…

八間山山頂

再びズミの花が現れたところで急に視界が開け、笹原に覆われたイカイワの頭に向かう登山道が認められた。 足下にはツバメオモト(Clintonia udensis)の小さな花が咲いていた。北海道と奈良県以北の本州の山地帯上部から亜高山帯の林内に分布する。長さ15〜3…

ナエバキスミレ、イカイワの肩

こちらの黄色いスミレは、オオバキスミレの変種、ナエバキスミレ(Viola brevistipulata var. kishidae)の花である。本州の東北地方南部、上越地方、北アルプスの山地帯〜亜高山帯に生える多年草で、高さは10cm以下と小さい。茎や花柄が赤みを帯び、葉に光…

シラネアオイ、ウラジロヨウラク

ようやくシラネアオイ(Glaucidium palmatum)の群落にたどり着いた。北海道と本州中部地方以北の山地の林内に群生する多年草で、高さ15〜30cmの花茎の先に径5〜10cmの大きな花を咲かせる。 淡紅紫色の花弁のように見えるのは萼片で、花弁はなく、雄しべ…

レンゲツツジ、コマクサ

イワカガミと一緒に白いミツバオウレン(Coptis trifolia)の花が咲いていた。北海道と本州中部地方以北の亜高山帯〜高山帯の針葉樹林の林内、林縁などに生える常緑の多年草で、小葉は3裂し、鋭い重鋸歯がある。5枚の白い萼片は花弁状で、本来の花弁は黄色…

野反湖、富士見峠

6月中旬に群馬県の野反湖と榛名山神社周辺を廻った。久しぶりのハイキングなので朝早く野反湖に直行したが、富士見峠(1561m)に着いたのは9時半になった。どんよりした天気の中、峠の駐車場に着いた途端に雨が降り出した。シラネアオイが満開だというの…

豚肉のアスパラ巻き

アスパラが安かったので、豚肉のアスパラ巻きを作ってみた(3人前)。 ① アスパラ12本は、下半分をピーラーで皮むきし、ラップに包みレンジで1分30秒チンして4等分する。ニンジン小1本、エリンギ1本も、適宜に切り分けてレンジで40秒チンする。細…

明治神宮の花菖蒲

6月中旬にいつもの遊び仲間と連れ立って、明治神宮御苑の花菖蒲を見に出かけた。原宿駅から神宮橋を渡ると、南参道の入口に大きな一ノ鳥居が立っている。北参道と合流するところに立つ二の鳥居は、高さ12m、柱の径1.2mと檜造の明神鳥居では日本一だが、こ…

鶏もも肉とピーマンとナスの豆板醤炒め

地養鶏のもも肉を買い求め、豆板醤炒めのレシピを探した(4人前)。 ① 鶏もも肉2枚半(600g)を一口大に切り、塩胡椒して片栗粉大1をまぶす。 ② ナス2本は乱切りして水に漬け、絞ってアクを抜く。タマネギ大1も切っておく。 ③ しょうが2かけ分をみじん…

にし茶屋街

長町武家屋敷跡から犀川の左岸にあるにし茶屋街に向かい、犀川に架かる新橋を渡る。上流に見えるのは、犀川大橋である。文禄3年(1594)加賀藩主前田利家の頃に木像の大橋が架かり、藩政期には犀川に架かる唯一の橋として「いさごの橋」「中河原の橋」「一…

武家屋敷

尾山神社から南に歩き、香林坊を西に入ると、長町武家屋敷跡がある。加賀藩時代の上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ね、土塀と石畳の路地が続いていて、藩政時代の情緒ある雰囲気を味わうことができる。この長町三の橋周辺がその中心地といえる。 前田家の…

尾山神社

金沢城の西に、藩主前田利家を主祭神として祀る尾山神社がある。明治6年(1873)に創建され、神門はその正門として明治8年に建築され、国の重文に指定されている。 神門の設計は、大工津田吉之助。和・漢・洋折衷様式の3層アーチ型楼門で、初層の戸室石積…

金沢城、五十間長屋

二の丸北面の石垣に沿って内堀を北西に廻り込んで、ようやく二の丸広場にたどり着いた。広々とした広場の先に、大きな五十間長屋が見えた。 五十間長屋は、菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ二層二階建て入母屋造の多聞櫓で、普段は倉庫として用いられるが、非常時は戦…

金沢城、石川門

兼六園の西に国史跡の金沢城跡がある。金沢城は、小立野台地の先端に築かれた平山城である。天正8年(1580)に佐久間盛政が領主となってから城造りが始まるが、天正11年に前田利家が入部し、以後、14代に亘り「加賀百万石」で知られる前田家の居城となった…

成巽閣

食事が済んだら初日に見た兼六園以外の見どころを廻ることにした。まずは兼六園の裏手にある成巽閣に入る。文久3年(1863)加賀藩主第13代前田斉泰が母堂にあたる12代奥方・真龍院(鷹司隆子)の隠居所として兼六園内の竹沢御殿跡に造営したもので、金沢城…

近江町市場

帰るにあたり再び金沢に戻ってきて、昼食ついでに近江町市場を歩き回った。江戸時代に近江商人が作ったといわれ、地元では「おみちょ」と呼び親しまれている。約2.8haの敷地に約180店の商店・飲食店が軒を連ねる。石川特産の加賀野菜や海産物を扱う商店が多…

東尋坊

山中温泉から再び福井県に戻り、北陸随一の景勝地、東尋坊を訪れる。東尋坊タワーの脇の商店街を抜けると、階段の先に断崖絶壁の東尋坊が見渡せる。振り返ると東尋坊タワーがわずかに見える。 大きな岩場の上には、荒れ狂う海や波の砕ける断崖をより近くで見…

山中温泉、こおろぎ橋

越前の永平寺から少し戻り、加賀温泉郷の中でも山と渓谷に囲まれた、緑豊かな山中温泉に泊まった。加賀・能登懐石の前菜は、甘海老の具足煮や姫サザエ旨煮など。 海鮮北前船盛りには、蒸し鮑や桜鯛、ブリの子のガンドなど北陸の海の幸が揃いうれしい。 煮物…

永平寺、山門

庫院を見終わると、浴室の前で曲がって山門に入る。寛延2年(1749)に永平寺42世円月江寂禅師により再建された、永平寺伽藍の最古の建物である。間口9間、奥行5間の二重層からなる唐風の楼閣門で、下層には四天王を祀り、上層には五百羅漢を安置する。東…

仏殿、大庫院

大庫院に向かって下る回廊から右手を見ると、大きな仏殿が目に入る。明治35年に改築された建物で、間口9間、奥行5間半の二重屋根である。 回廊を下りてくると左側には、昭和5年に改築された大庫院(だいくいん)があり、2階には瑞雲閣という賓客の接待所…

永平寺、法堂

永平寺は、山号を吉祥山と称し、寺紋は久我山竜胆紋である。本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。宗祖道元は、正治2年(1200)に生まれ14歳のとき比叡山延暦寺で仏門に入った。道元には「天台の教えでは、人は生まれながらにして本来悟って…

永平寺、傘松閣

一日中雨の中、全線無料化になった「のと里山海道」を金沢まで戻り、昼食後に福井県の永平寺まで足をのばした。永平寺は総持寺と並ぶ日本曹洞宗の大本山であり、境内は三方を山に囲まれて樹齢700年に及ぶ老杉が聳える深山幽谷にある。永平寺の大きな寺号標の…

真脇遺跡縄文館

九十九湾のリアス式海岸を西にたどると、最後の入り江の奥に真脇遺跡がある。縄文時代前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)までの約4000年にも及ぶ長期間営まれた遺跡で、国の重文に指定された多くの出土品を展示する真脇遺跡縄文館が建てられ…

見附島、九十九湾

須須神社の高倉宮の祭神が高倉彦神とする考えがある一方、同じ珠洲市内の蛸島町に高倉彦神社があり、こちらが三代実録貞観15年に記載の高倉彦神であると由緒ではいう。今では能登一番の華麗さを誇る総漆塗りのキリコが繰り出される、秋祭りで知られる高倉彦…