半坪ビオトープの日記

金沢城、五十間長屋


二の丸北面の石垣に沿って内堀を北西に廻り込んで、ようやく二の丸広場にたどり着いた。広々とした広場の先に、大きな五十間長屋が見えた。

五十間長屋は、菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ二層二階建て入母屋造の多聞櫓で、普段は倉庫として用いられるが、非常時は戦闘のための砦となる。石落としを各所に備え、格子窓は鉄砲狭間となる。

整然と並ぶ鉛瓦がまぶしく、海鼠壁及び総漆喰塗込壁も美しい。

菱櫓は、その名の通り鈍角100度、鋭角80度の菱形の建物で、柱もすべて菱形である。二の丸で最も高い三層三階建て入母屋造の物見櫓で、大きな唐破風石落としや千鳥破風の華やかな外観は、天守閣のない金沢城ではシンボル的な建物である。木型に厚さ1.8mmの鉛を貼った鉛瓦や、平瓦を貼った目地を白塗漆喰で固めた海鼠壁も、他の城ではあまり見られない特徴である。

菱櫓の上からは、河北門の構造がよく見える。河北門の左手後ろの小高い森は、標高141mの卯辰山である。金沢城から見て東(卯辰の方角)に位置することから名付けられた。

五十間長屋の右端の格子窓から眺めると、橋爪橋から内堀、その右手には太鼓塀が、左先には石川門が見える。石川門の右手彼方には、石川県と富山県の県境にまたがる、標高939mの医王山(いおうぜん)の姿が望まれる。

五十間長屋の内部では、日本に古くから伝わる木造軸組みの工法を垣間見ることができる。柱は檜、角梁は米ヒバ、小屋梁には松丸太を用い、ほかに能登ヒバ、赤杉など、使用した木材5,330石の7割にあたる3,830石が石川県産材を用いている。

城内発掘の様子を示す写真や金沢城再現模型、屋根軒先部分模型などの展示に加え、城内から発掘された陶磁器などが展示されている。

極楽橋を渡って南西に向かうと、三十間長屋が建っている。本丸付段に安政5年(1858)に再建された長屋で、金沢城に現存する長屋建築としては唯一のものである。幅3間、長さ26.5間余りの2階建て多聞櫓で、鉛瓦葺の堅牢な構造が特徴的であり、国の重文に指定されている。

屋根は南面入母屋造鉛瓦葺、二階の腰にも鉛瓦葺の庇を付けている。金沢城にはこのほかに全部で14の長屋があったと伝えられている。特別公開で中に入ることができ、二階から再建された五十間長屋を眺めてみると、金沢城の往時の壮観は想像するに余りあると感じる。

三十間長屋から極楽橋に戻り、いもり坂に向かう道端に、シソ科のオドリコソウ(Lamium album)が白っぽい花を咲かせていた。日本各地の野山や半日陰になるような道路端に群生する。葉はシソの葉に似て、高さは30~50cmになる。唇形の白またはピンク色の花を4〜6月に咲かせる。花の付き方が、笠をかぶった踊り子達が並んだ姿に似るとして、踊子草と名付けられた。

三十間長屋の南西にあるいもり坂から金沢城公園を出る。この辺りにも石垣が随所に見かけられ、石垣巡りのコースになっている。