半坪ビオトープの日記

東尋坊


山中温泉から再び福井県に戻り、北陸随一の景勝地東尋坊を訪れる。東尋坊タワーの脇の商店街を抜けると、階段の先に断崖絶壁の東尋坊が見渡せる。振り返ると東尋坊タワーがわずかに見える。

大きな岩場の上には、荒れ狂う海や波の砕ける断崖をより近くで見ようと大勢の人が集まっている。先に見えるのが軍艦島で、右手に見えるのがライオン岩である。柱状節理の目立つ屏風岩やロウソク岩は、軍艦島の左手の方にある。

能登の巌門と同じく、ここでも海は大荒れで、打ち寄せる大波が観光遊覧船のりばを覆い尽くし、とても乗船できる状態ではなかった。

遊覧船のりばの右手の断崖が、東尋坊の先端になり、夕日を眺めるポイントである。彼方には周囲約2kmの雄島が見え、雄島及び雄島橋の右手には、三保大明神を祀る大湊神社の本宮および陸宮(あげのみや)がある。東尋坊の名の由来には諸説あるが、大湊神社では次のような由来を紹介している。今から1300年前に、奥越の平泉寺は越前7000坊と呼ばれ僧侶も多くいた。その内3000の僧兵は、極悪非道で近郷の民百姓を苦しめていた。その中の東尋坊という暴僧は、とりわけ悪事の限りを尽くす旗頭であった。東尋坊はあや姫という美しい姫君に心を奪われ、恋敵である真柄覚念という僧と激しくいがみ合った。寿永元年(1182)4月5日、真柄覚念と平泉寺の僧兵数十人が東尋坊を海辺見物に誘い出し、絶壁の上で酒盛りをはじめ、泥酔したところで東尋坊を崖の上から海へ突き落とした。その後、海は四十九日間大荒れし、ついには東尋坊の怨念が真柄覚念をも海の底へと引きずり込んでいったという。

東尋坊は、海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ約25mの岩壁が約1kmにわたって続く。この岩は輝石安山岩の柱状節理で、これほどの規模は国内一であり、世界にも朝鮮半島金剛山と、ノルウェーの西海岸の3ヶ所だけという貴重なものなので、国の天然記念物および名勝に指定されている。

ここ東尋坊は、著名人の自殺等により昔は自殺の名所として全国的に有名だったが、地元では各所に自殺を思いとどまらせるための句碑や看板を設置して自殺を防ぐ努力を今でもしている。誰でも相談できるよう「救いの電話」も設置されている。

かつて、飛び降りても簡単に死なない(死ねない)ことをアピールするために敢えて飛び込みを実演する「ドリャーおじさん」がいて、通算2万回以上、飛び降りては断崖絶壁を這い上がるという行為を繰り返したというが、にわかには信じ難い話である。高所恐怖症の者には、そーっと覗くだけでもぞくぞくする。

東尋坊商店街の最も海寄りのこの店には、甘エビや生ウニとともに岩牡蠣も売られていた。1皿1200円で2個あるので、1個600円になるが、美味しそうに見えたのですぐに買い求めた。

大きいので1皿に1個でも十分見栄えがする。さっそく食べてみると、やはり新鮮でとても美味しかった。