半坪ビオトープの日記

暮坂峠、たんげ温泉


暮坂峠に向かう道に入ると、牧水の歩いた道・若山牧水歌碑の案内がいくつか現れる。花敷温泉から暮坂峠までの牧水コース散策案内では、14の詩歌碑が記されている。ここはその5番目の詩歌碑で、「うららかに峰は晴れたれ我が登る山そばみちの路のゆくてに」「踏みゆくよ上はかわきて下しめる山そば道の深き紅葉を」の2首が記されている。

暮坂峠に着くと、牧水詩碑と牧水の立像がある。大正11年(1922)10月20日に、若山牧水草津温泉から暮坂峠を越えて沢渡温泉まで歩き、「枯野の旅」を残した。

枯野の旅  若山牧水
乾きたる
落葉のなかに栗の實を
湿りたる
朽葉がしたに橡の實を
とりどりに
拾ふともなく拾ひもちて
今日の山路を越えて来ぬ

長かりしけふの山路
楽しかりしけふの山路
残りたる紅葉は照りて
餌に餓うる鷹もぞ啼きし

上野の草津の湯より
澤渡の湯に越ゆる路
名も寂し暮坂峠

標高1088mに位置する暮坂峠は、戦国時代には東吾妻と西吾妻を結ぶ重要な戦略道で、永禄6年(1563)真田幸隆はこの峠を越えて岩櫃城を攻撃した。江戸時代には草津温泉沢渡温泉を結ぶ道として賑わったが、明治になるとすっかりさびれた。牧水が訪れた10月20日には毎年、牧水祭りが開催される。昭和32年、町田浩蔵を中心に、牧水を敬愛する人々が暮坂峠に詩碑を建てた。詩碑の上には、マントを羽織った旅姿の牧水像が据えられた。その後、昭和62年に作り替えられている。

暮坂峠を越えて下り始めると中之条町に入る。右手に岩山が見えてくると大岩地区である。右脇にある茅葺屋根の建物が、旧大岩学校(牧水会館)である。明治12年に建てられた古い校舎が現存するのは珍しく、昭和29年に保存されるにあたり、大正時代に牧水が暮坂峠から沢渡へ行く途中、この校庭で遊ぶ子供の様子を詠んだことにあやかり「牧水会館」と命名された。特に牧水関係資料があるわけでもなく、集会所として使われている。

敷地の一角には、牧水がここで詠んだ歌碑が建てられている。

「大岩村にて  人過ぐと生徒等はみな走せ寄りて 垣よりぞ見る学校の庭の  われもまたかかりき村の学校に この子等のごと通る人見き」

暮坂峠から東へ下り、沢渡温泉を過ぎて北の谷に入る。さらに奥まで渓流沿いの道を進むと一軒宿のたんげ温泉に着く。反下(たんげ)川に面した露天風呂からは、清流を眺めながら小鳥のさえずりを聞くことができる。

目の前の清流は、すぐさま滝となって流れ下っていく。モミジも多いので紅葉の季節には鮮やかな渓谷美を存分に満喫できるように思われた。