半坪ビオトープの日記

2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

妙法寺

富士川町増穂の小室という集落に日蓮宗の妙法寺がある。山号は徳栄山というが、地名の小室山を通称としている。小室の集落が妙法寺の門前町であり、町中に総門が建つ。 県内有数の豪壮な山門が大きく構えている。間口23m、奥行7m、高さ25mと県内では身延山…

十谷温泉

9月上旬に甲府市の南西、鰍沢近くの十谷温泉に行った。 富士川沿いの国道から西へ、甲斐源氏の祖「新羅三郎義光」の居城跡とされる源氏山を源とする大柳川を溯ること7km。斜面に広がる十谷(じゅっこく)集落を過ぎると、いくつもの吊橋と滝めぐりが楽しめ…

豚ヒレ肉とピーマンのオイスター炒め

豚ヒレ肉を使ったヒレカツ以外の料理を探してようやく見つけた料理。 ① 豚ヒレ肉600gを1cm厚さにカットし、さらに幅1cmの縦長の細切りにする。ピーマン4個とパプリカ大1/2も1cmの細切りにする。 ② 酒大2、醤油小2、生姜すりおろし小2の調味料に肉…

30分煮込むだけの鶏肉料理、というふれこみにつり込まれて試しに作ってみた。 ① 鶏もも肉2枚を八つに切り分け、皮にフォークで穴をあけ、肉の両面に塩コショウする。 ② トマト中3個は皮を湯剥きして角切り。インゲン10本は4cmに切る。タマネギ大1個は…

ブリは、照り焼き以外の調理をほとんどしたことがないので、クックパッドでレシピを探して、和風マリネに挑戦した。4人分です。 ① ネギ1/2本、しょうが大1をみじん切りし、醤油・酢各大4、砂糖大1とボールに混ぜておく。トマトの薄切り、キウリの千切…

長い階段を下りきると岩に囲まれて渓谷露天風呂がある。 泉質は含土類芒硝泉といい、鉄分によって少し茶色に濁っている。 ここまでおりてくるのが大変なためか、一人も客がいなくてひっそりとしている。 風呂の手前に小さな社がある。金勢大明神という。 対…

パソコンの異常を修正しようとして、誤ってデータを全て消去してしまった。コマクサやイワギキョウなど乗鞍岳の高山植物の写真だけでなく、多くの写真や文書が失われた。今後は、予備のカメラで撮り、運良く残った写真でやりくりします。 乗鞍岳の後、野麦峠…

乗鞍高原を越えて夕方の激しい雷雨の中を白骨温泉まで下って泊まった翌日、乗鞍高原まで戻ってバスに乗換え、ようやく乗鞍岳畳平(2702m)に着いた。バスターミナル前の駐車場は広く、乗鞍神社本宮の中之社や宿泊施設などが建っている。 前日の雨の名残かガ…

松本駅の西3kmほどの島立地区三ノ宮に、延喜式神名帳にも信濃国三ノ宮と記載されている、沙田(いさごだ)神社がある。 社殿の前には、神楽殿のような御仮殿があり、周囲には四本の御柱が立っている。沙田神社の御柱祭は、仁寿3年(853)に始まり、貞観元…

松本駅前を東に進むと松本市美術館や芸術館があるが、その手前に「深志の天神様」と親しまれる松本深志神社がある。天保12年(1841)に深志神社となる前は、宮村宮と天満宮の両宮は、「宮村両社・宮村天満宮・深志天神」などと称されていた。江戸時代の歴代…

兎川寺から500m南東、針塚古墳から500m東に、須々岐水(すすきがわ)神社がある。古来より須々岐水神と称し、薄川の神を祀ってきた。 平安初期に信濃国府が筑摩郡に移転後は山家郷開発の祖となり、延暦18年(799)山辺の高句麗系渡来人が朝廷より須々岐の姓…

兎川寺の向かいにある旧山辺学校は、明治初期の旧制の学校で、洋風八角高楼付校舎は現在、歴史民俗資料館となっている。立石清重の指揮の下で開智学校建築にも携わった経験のある、地元出身の佐々木喜十が棟梁となり、明治18年に建てられた。開智学校のギヤ…

松本市東部の里山辺に兎川寺(とせんじ)がある。真言宗智山派で、詳しくは恵日高照山兎川霊瑞寺という。 寺伝によれば今から約1300年前の飛鳥時代、聖徳太子により創建されたと伝わる。もしそれが事実とすれば、先ほどの針塚古墳などの古墳時代からの流れと…

松本の筑摩神社から南へ500mほどのところに若宮八幡神社がある。朱色の両部鳥居はあるが、近くの人が集まる集会所の一角にある感じである。 この辺りは旧町名、三才といって、その由来には、優れた三人の才能ある人物が諸災害を治めたという説、筑摩郡に国府…

筑摩神社でもこの後訪れる須々岐水神社と同じように6月にお船祭りが行われている。 かつて別当寺であった安養寺の銅鐘は、永正11年(1514)信濃の守護小笠原長棟が献納したもので、口径66cm、高さ約91cmである。松本平最古のものであり、市の重文に指定され…

8月中旬に、松本、乗鞍、高山、下呂、妻籠などに温泉を織り交ぜて旅した。 松本といえば有名な松本城や旧開智学校は、今までに何度も訪ねているから今回ははずした。 まず最初に松本市内の筑摩(つかま)神社を見た。あがたの森公園の南の薄川を渡ったとこ…

加知山神社は、古くは牛頭天王といい、祭神は素戔鳴尊(須佐之男命)である。元禄16年の大地震大津波(1703)で仁浜の天王塚が波欠したので、享保7年(1722)に2代醍醐新兵衛明廣が敷地の日月に天王の社地を開き、社祀を再建し遷座したという。天保7年(1…

大黒山の裾にあった観音堂の下に水月堂がある。創建は文和4年(1355)とされている。元禄16年(1703)の大津波で多数の死者が出たとき、通称仙人塚に供養されたが、捕鯨集団醍醐組でも3代目醍醐新兵衛の兄弁之助や親戚などに犠牲者を出した。3代目新兵衛…

大黒山(75m)の山頂には天守を模した展望台があり、三浦半島、大島など360度の展望を楽しめる。途中は、湿った林の中の階段を上って行くので、蟹がごそごそと足下で逃げ惑う姿をかなり上に登るまで目にする。 山頂には祠や「陸軍」と彫られた石柱などがあり…

勝山漁港から1kmほどのところに周囲約780mの浮島がある。右手に見える無人島の浮島には浮島神社があり、景行天皇、日本武尊、弟橘媛、磐鹿六雁命が祀られている。 伝説では、東国平定を成し遂げた日本武尊の死後、父の景行天皇は皇子と同じ旅路をたどり、弟…

勝山の集落に入ってすぐに屋敷稲荷があり、ぐるっと勝山城跡のある八幡山の支尾根の山裾を回り込んだ辺りに勝山藩陣屋跡がある。江戸時代の藩主・酒井氏が9代200年間ここに居住していたが、現在は駐車場になって俤はない。何故こんな山裾に陣屋を造ったのか…

岩井袋の福蔵寺の手前の道を右手に上って行き、隧道をくぐって進むと勝山の板井ヶ谷に竜島という集落がある。東にこんもりとした小山があり、そこの崖に弁財天が祀られている。 弁財天は水神であり、財産を司る福神である。その弁財天の右脇に小さな祠が集ま…

隧道をくぐり抜けると鋸南町岩井袋の集落になり、道端にはセンニンソウ属のセンニンソウ(Clematis terniflora)がたくさん咲いていた。日本全土の山野に広く見られるつる植物で、葉は普通5枚の小葉をもつ羽状複葉になる。4枚の花弁に見えるのは萼片で、本…

去年に引き続き夏の合宿は内房岩井海岸の民宿にしたので、舟盛りの地魚をたらふく食べることができ皆満足した。 9月になったため海の家が解体されつつあるが、水温はまだ高くて波も静かだからのんびり泳ぐことができる。 初日は久しぶりの海水浴を楽しみ、…