半坪ビオトープの日記

大黒山(75m)の山頂には天守を模した展望台があり、三浦半島、大島など360度の展望を楽しめる。途中は、湿った林の中の階段を上って行くので、蟹がごそごそと足下で逃げ惑う姿をかなり上に登るまで目にする。

山頂には祠や「陸軍」と彫られた石柱などがあり、向かいに見える勝山城跡の説明板もある。勝山城跡は崖崩れのため登れないため、ここから眺めるしかできないのである。

南の八幡山にあった勝山城は、源頼朝が石橋山の戦に敗れ当地へ逃れてきた際、いち早く従臣した地頭安西氏が出城として築いた砦に始まる。
安西氏は八幡山山麓に主郭を構え、江戸初期の里見氏滅亡までこの地を領した。その後内藤氏、佐倉氏の居城となり、寛文8年(1668)酒井忠国が若狭小浜藩より分封され、以来9代201年に亘り、酒井勝山藩12000石の居城として明治に至る。

南西には勝山湾が眺められる。右手に見えるのは、勝山漁港からも見えた浮島である。昔は鵜来島と書いたこともあったという。南に属島、大ボッケ島、小ボッケ島の2島がある。
浮島には天皇の料理番、高橋家の由来を説く伝説があったが、同じく日本書紀景行天皇の段には、日本武尊が東征の折、この海で嵐に遭遇し行く手を阻まれた際に、后である弟橘姫が身を投じて嵐を鎮めたという伝説もあって、この地に縁がある神々として浮島神社に祀られている。弟橘姫の亡骸が流れ着き埋葬したといわれる、みささぎ島はこの大黒山の峰が西に下って海に着く先に浮かんでいる。

北の方向には木立の向こう下に勝山の町が見える。右手に見えるのは浅間山(61m)だろう。左手には亀ケ崎の真珠島が見え、その向こうに保田の町がある。

山頂のすぐ下に大きな魚見石がある。捕鯨するときこの石の上で鯨の様子を信号旗で船頭や下の鯨組に知らせたそうだ。

こちらの岩には、大国岩という標石が立っているが、大国様が彫られていたのか詳細は分からない。