半坪ビオトープの日記

8月中旬に、松本、乗鞍、高山、下呂妻籠などに温泉を織り交ぜて旅した。
松本といえば有名な松本城旧開智学校は、今までに何度も訪ねているから今回ははずした。
まず最初に松本市内の筑摩(つかま)神社を見た。あがたの森公園の南の薄川を渡ったところにある。延暦13年(794)に坂上田村麻呂が八面大王を征伐するためこの地を訪れ、石清水八幡宮より分霊を勧請し戦勝を祈願したのが始まりという。正八幡宮の別名がある。また信濃国府の松本遷府以後は国府八幡宮とも称し、鎌倉以後は信濃守護の小笠原氏の祖神として崇敬された。
八幡宮と扁額が懸けられた石造の鳥居は、両部鳥居となっている。

狛犬は大きなライオン顔で、昭和5年建立という。境内の周りにある鎮守の杜は筑摩の森といって、樹齢数百年のケヤキや杉の木が群生している。

狛犬の間に朱色の両部鳥居が立つ。神門の手前にある石燈籠には、神紋だろうか三巴の紋が飾られている。

祭神として、息長帯比売命神功皇后)、誉田別命応神天皇)(以上八幡神)、多紀利比売命狭依比売命多岐津比売命(以上宗像三女神)を祀る。
神門は、いつ造られたか不明だが、重厚な感じがする。

拝殿は、慶長15年(1610)松本城石川康長の建造したもので、建築様式は入母屋造、屋根は杮葺である。床の下に低い基壇を設け、石の土台を廻している。拳鼻(こぶしばな)の彫り、実肘木(さねひじき)の繰り型、大面取りの角柱、蟇股などに桃山時代の特徴が見られ、県宝に指定されている。

本殿は、南北朝の戦乱で永享8年(1436)に焼失したものを、永享11年(1439)信濃の守護小笠原政康が再建したものである。建築様式は三間社流造、軒は二重の繁垂木、屋根は桧皮葺であり、正面階段は四段で登り勾欄がある。
向拝、妻飾りの斗栱(ときょう)および蝦虹梁(えびこうりょう)、登り勾欄の擬宝珠の形態など、室町時代の様式を各所に残した市内最古の建造物で、国の重文に指定されている。