半坪ビオトープの日記


松本駅前を東に進むと松本市美術館や芸術館があるが、その手前に「深志の天神様」と親しまれる松本深志神社がある。天保12年(1841)に深志神社となる前は、宮村宮と天満宮の両宮は、「宮村両社・宮村天満宮・深志天神」などと称されていた。江戸時代の歴代藩主の崇敬を受け、松本城下の南半分の商人町の総氏神ともなった。
社伝によると、暦応2年(1339)信濃国守護・国司小笠原貞宗が、諏訪明神を祀って宮村宮を創建したのに始まる。応永9年(1402)小笠原貞基が居館近くに京都北野天満宮より勧進したが、さらに慶長19年(1614)小笠原秀政が宮村明神の隣に勧進し並び祀った。

拝殿の前には神楽殿が建っている。寛文12年(1672)に建立された後、改修が重ねられた。当社に現存する最古の建物で、元は拝殿であった。改修で瓦葺から銅版葺きに葺き替えられた。

幣殿を伴う拝殿は、入母屋造極彩色銅板葺きで、正面には伏見宮貞愛親王親筆の社号額が掲げられている。

拝殿の裏に続く本殿は、宮村宮・天神宮の両宮が並ぶ両殿の一間社流造極彩色銅板葺きで、明治8年の建替えの後、平成14年に全面改修された。宮村宮の祭神は、建御名方命であり、天神宮の祭神は、菅原道真である。

社殿の左手裏に自由民権運動の先駆者、松沢求策の記念碑が建っている。穂高町に生まれた松沢求策は、長野県の代表として国会開設運動の先頭に立ち、請願権の確立、政党の結成などに大きく貢献した。

境内社には、稲荷神社、恵比寿神社金山神社松尾神社などがある。
楽殿の手前左にある恵比寿神社は、本町一丁目の守護神として寛保2年(1742)に鎮座された。
楽殿、拝殿、本殿が改修で極彩色になったため、歴史を感じさせる建物が少ない中では、唯一、昔の俤を残している。