半坪ビオトープの日記

玉若酢命神社

億岐家住宅
隠岐の島町(島後)の東半分を一周して中心地の西郷に戻る。玉若酢命神社のすぐ左手に億岐家住宅がある。玉若酢命神社の宮司を務める億岐氏の住宅で、享和元年(1801)に建てられたもの。建築年代のわかるものでは隠岐最古の社家住宅である。身分や用途によって入口が三つに分かれるという隠岐独特の大型民家建築である。神棚を祀る「神前の間」や「ミソギベヤ」など社家としての特徴を持つ。左に隣接する宝物館(古香殿)では国内に唯一残る駅鈴や隠伎倉印などの国の重要文化財が展示されている。駅鈴は、律令時代に官吏の公務出張の際に、朝廷より支給された鈴である。大化2年(646)1月1日、孝徳天皇によって発せられた改新の詔による、駅馬・伝馬の制度の設置に伴って造られたと考えられており、官吏は駅においてこの鈴を鳴らして駅子(人足)と駅馬または駅舟を徴発させたという。現在残るのは、隠岐国駅鈴2口(幅約5.5cm、奥行約5.0cm、高さ約6.5c)のみとされる。隠伎倉印は、高さ5.8cm、印面方形6.2c×5.9cmの銅印。駿河国但馬国隠岐国だけに現存する正倉印の一つである。奈良時代、諸国において税を徴収し貯蔵しておく倉があり、正税を貯蔵するものを正倉といい、各郡家(郡役所)の近くに建てられていた。この正倉に貯蔵されている正税の出納の際に使用されたのが正倉印である。国司が所持し、出納事務処理に関して捺印したとされる。撮影不可なのが残念だ。
 

水木しげるの妖怪像「琵琶ぼくぼく」
玉若酢命神社の鳥居の脇に水木しげるの「琵琶ぼくぼく」という妖怪像がある。その右隣には「トカゲ岩の石」という岩がある。約600万年前の大規模な火山活動が終息した後、岩脈として古い地層に貫入した火山岩である。ナトリウムとカリウムが日本で最も高濃度で含まれるアルカリ成分を特に多く含んだ粗面岩で、大陸の岩石の特徴とされる。アノーソクレース響岩質粗面班岩とも呼ばれ、大きなアルカリ長石の結晶が特徴である。「トカゲ岩」は隠岐を代表する奇岩の一つで、島後の北東部の山奥の崖を這い上がるような姿の全長26mの奇岩である。

玉若酢命神社
玉若酢命神社は、隠岐国総社として創建され、古代より崇敬されてきた。毎年6月5日に行われる御霊会風流は、武良祭風流(中村)、水若酢神社祭礼風流(五箇)と並んで、島後の三大祭の一つである。御霊会の由来は、古代に遡る。大化の改新の後、国司制度が確立していった頃、諸国の国司は赴任すると、国内の神社を社格にしたがって巡拝し、天下泰平・五穀豊穣を祈願した。また、国内神霊を同一霊場に勧請集合させて、合同の御霊会を催すことが始められた。この合同の祭礼の場所が総社であり、隠岐国の場合は玉若酢命神社が選ばれた。祭礼のハイライトは馬入れ神事である。八地区の神馬は鳥居の前に待機し、大太鼓の合図と共に狭い参道を拝殿目指して駆け上がる。この馬入れにより各地区の神々は集合したことになり、総社としての祭礼が始まる。

隋神門
瑞垣に囲まれた神域の入り口に建つ隋神門は、嘉永5年(1852)の建立。入母屋造茅葺。桁行柱間は3間だが、八脚門形式ではなく、梁間は1間とする。

隋神門
通路の左右に随神像を安置する。平成4年(1992)に、本殿・億岐家住宅と共に国の重要文化財に指定されている。

八百杉
随神門をくぐるとすぐ右手に大きな杉の木が聳えている。樹齢は千年とも二千年以上ともいわれる。若狭国から来た八百比丘尼が参拝の記念に植え、800年後の再訪を約束したことから八百杉と呼ばれるようになったと伝えられる。高さ30m、幹囲11mで、国の天然記念物に指定されている。

玉若酢命神社の拝殿

玉若酢命神社の創建は不詳だが、式内社で古くは若酢大明神、総社明神とも呼ばれた。玉若酢命を主祭神とし、大己貴命須佐之男命・稲田姫命事代主命須世理姫命を配祀する。社伝によると、景行天皇が皇子を各国に分置し、隠岐国に遣わされた大酢別命の御子が玉若酢命であると伝える。当社の宮司を代々務める神主家の億岐家が古代の国造を称し、玉若酢命の末裔とされる。この島の開拓に関わる神と考えられるが、『記紀』には全く登場しない地方神で、語義は不明。島内北西部にある水若酢神社の祭神名とも共通する「わかす」の語から島の開拓に関わる神と推測されている。拝殿正面の唐破風に設けられた兎の毛通しの彫刻は、羽を大きく広げた鳳凰である。

玉若酢命神社の拝殿

日本三代実録貞観13年(871)条に「正六位上甤若酢神の神階を従五位下へ陞叙する」との記事があり、甤は花が垂れる様、または冠・旗などにつける垂れ飾りの意なので、これをタマと訓み、甤若酢神を当社のこととすると、この記事が資料上の初見となる。

旧拝殿
拝殿の左手に小さな古びた社殿が建っている。慶応2年(1866)建立の旧拝殿で、国の重要文化財の附として指定されている。

玉若酢命神社の本殿
玉若酢命神社の本殿は、切妻造茅葺、妻入。桁行2間、梁間3間の身舎の正面に檜皮葺きの片流れの向拝を付ける隠岐造。春日造と異なり、切妻屋根と庇屋根は一体化しておらず、構造的に別になっている。庇屋根下の虹梁上の蟇股は左から松、菊、竹の彫刻となっている。屋根の上の千木、堅魚木の上には、雀踊と呼ぶ横木が置かれ、素朴な中にも威厳のある建造物となっている。寛政5年(1793)の建立で、隠岐の島町の中では最古の神社である。平成4年(1992)に国の重要文化財に指定されている。

本殿妻飾り
本殿妻飾りの二重虹梁や蟇股に施された繊細な彫刻の意匠は特異で注目に値する。

八百杉
拝殿側から眺める八百杉は、遮るものもなく豪快に枝を伸ばしている。

若宮
拝殿右手前に若宮と思われる境内社がある。若宮は億岐氏の祖神・十挨彦命を祀る神社という。

玉若酢命神社古墳群
拝殿右手には、本殿裏手にある玉若酢命神社古墳群への案内がある。前方後円墳1基と円墳14基からなる古墳群である。