半坪ビオトープの日記

幽玄洞


猊鼻渓舟下りで今回の旅は終わる予定だったが、時間が少し余ったので近くの幽玄洞を見学した。
幽玄洞入口近くの土手に、キツネノカミソリ(Lycoris sanguinea)の群落を見かけた。本州、四国、九州の明るい林床や林縁に生える多年草である。葉は夏には枯れ、8月中旬に30~50cmの花茎を伸ばし、花弁6枚の黄赤色の花を数個ずつ散形状に咲かせる。ヒガンバナ科なのでヒガンバナと同じく有毒植物である。

昭和55年に発見された幽玄洞は、3億5千万年前の地層に属し、日本で最古の鍾乳洞といわれている。洞窟入口に隣接して幽玄洞展示館が建てられ、洞内の案内図とともに、発見された数々の海底化石などが展示されている。

古生代中期の地層を持つ幽玄洞は、日本でも有数の化石のメッカで、海洋底拡大説の資料となるウミユリの萼の化石は、日本の岩盤上では初めて発見された。また三葉虫の完全体、フズリナ、古代サンゴなど、生物学上の貴重な解明資料が数多く発見されている。

幽玄洞は石灰岩で形成され、地層を見ると3億5千万年前は水深50m前後の海底であったことがわかる。また壁面にはウミユリ、三葉虫ほか当時の生物の化石があちこちに露出している。洞内のいたるところに石筍、石柱、つらら石、鐘乳管、ノッチ、ノジュール、フローストーンなど多種類の鍾乳石が見られる。先ずはじめの鍾乳石は、豊乳浄土と名付けられていたが、素人っぽいネーミングと思う。

次の鍾乳石は、吐雲の龍と名付けられていた。複雑な形なので名前にこだわらずに見ていこう。

この化石が、三葉虫の化石であろう。三葉虫は、約5億4200万年前から約2億5000万年前までと3億年ほどにわたる古生代を通して栄え、その間に激しく種類が移り変わったので、三葉虫の化石を調べればその地層の年代がわかる示準化石になっている。

こちらの波状の鍾乳石は、白亜の波と名付けられている。白亜とは石灰岩を表す言葉であるが、白亜紀中生代の終わりなのでちょっと紛らわしい。

こちらはフローストーン(流れ石)という。洞窟の壁や床を薄く膜状に流れる水によって造られる鍾乳石で、蓮華の華とも呼ばれる。
幽玄洞は、ウミユリや三葉虫の化石が発見されたことでは珍しい鍾乳洞だが、岩手県には日本三大鍾乳洞龍泉洞や日本一長い安家洞など変化に富んだ大規模な鍾乳洞があるので、比べてしまうと随分迫力に欠ける。
さて、これで8月中旬に出かけた北東北巡りを終えた。雨の日が半分以上あり、中3日連続で八甲田山岩木山秋田駒ヶ岳を登るという強行日程になったが、予定外の角館武家屋敷骨寺村荘園遺跡なども見学でき十分満足した。