半坪ビオトープの日記

玉泉洞の鍾乳石


玉泉洞は、南城市の西南端、玉城字前川にある。西隣りの八重瀬町との境を流れる雄樋川の河口近くの港川は、約2万年前に住んでいたとされる「港川人」の人骨の発見場所として有名である。その人骨は全身骨格の形で残っている日本の人骨の中で最も古いとされる。最近、港川人は縄文人の祖先というより、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いと考えられている。
その港川へと流れる雄樋川の河谷の東側、地下30mに水流があり、これが玉泉洞内を流れている。その地下川に沿って進むと、シールド(楯状鍾乳石)に近い鍾乳石がぎっしりと集まって垂れ下がっている所があり、由来はよくわからないが「初恋広場」と名付けられている。

初恋広場のすぐ先、天井から白くて非常に細い鍾乳石が何本も垂れ下がっている。ストローに似ているため「ストロー」と呼ばれ、中心が空洞になっていてそこから雫が落ちてくる。

やがて化石を含む地層が露出している「化石の広場」に出る。洞外から流れ込んで堆積した厚さ約2mの砂れき堆積層の中に、30〜50cmの化石層となって分布している。リュウキュウジカ、リュウキュウムカシキョン、クジラ、リュウキュウヤマガメ、サメの歯や硬骨魚類の骨など、陸の動物や海の魚類の化石も含まれる。この化石は、1万5千年前に絶滅したと考えられているリュウキュウジカの骨の化石である。

洞内左手奥に見える「龍神の池」から地下水が勢いよく溢れ出てきて、鍾乳石でできた「地煙の滝」となって流れ下る。「龍神の池」のさらに奥には、奥行き2000mという研究用の未公開エリア「玉泉新洞」が続いているという。

「昔の水位線」という表示があるように、数千年前は今の水面から3.5mの高さまで水位が上がることもあったとされる。

またもや左手奥に池がある。「青の泉」と銘打たれているが、青色の照明だろう。田んぼの畦のようなダムは、リムストーンダム(畦石)と呼ばれる鍾乳石である。

「青の泉」の下にあるこちらのリムストーンダムは「黄金の盃」と呼ばれ、外周約31m、高さ約2.5mと、日本最大級の大きさを誇る。

下水流に沿って設けられた散策路を塞ぐように大きな「つらら石」が連なるところは、「銀河街道」と呼ばれる。

その「銀河街道」の途中に、「複合鍾乳石」なるものがぶら下がっている。地下水の増水が繰り返されると、水で運ばれてきた粘土が「つらら石」の隙間を埋めて、一本の巨大な「つらら石」となる。

この「千人ぼうず」と呼ばれるずんぐりした鍾乳石のようなものは、「泥筍」といって、鍾乳石ではない。天井の雫が泥床に落ちると、その泥水の跳ね返りで生まれる。

玉泉洞最大のシールド(楯状鍾乳石)は、国内最大級の幅2mを超す大きさがあり、「絞り幕」という名が付けられている。

上の方に「白銀のオーロラ」という標識が見える。近くまで行って目の前にすると、つらら石が幅広のカーテン状になり、さらに下の石筍とつながった石柱の複合体である。見事な鍾乳石の造形美である。

またもやつらら石が槍千本のように垂れ下がっている。送迎門ならぬ「歓迎門」となっているが、そろそろ出口に近づいている。