半坪ビオトープの日記

龍河洞、天降石


高知市の20kmほど東北東の三宝山の中腹に、日本三大鍾乳洞の一つに数えられる龍河洞がある。洞窟入り口には入洞者の安全守護を祈る龍王神社があるので、そこに至る石段には石の鳥居が二つ並んでいる。

洞窟の存在は古くから知られていて、承久の乱(1221)で土佐に流された土御門上皇が鍾乳洞のことを知り入洞した際、突然錦の小ヘビがあらわれ上皇を案内したという。その後、上皇は供奉した原権七郎という里人に剣と玉とを賜り、小ヘビの霊を祀らせたという伝説があり、それが洞の入り口にある龍王神社の始まりといわれる。また名称については、上皇の乗り物を「龍駕(りょうが)」と呼び、それが転じて「龍河」となったとも伝わる。国の天然記念物および史跡に指定されている。

鍾乳洞の総延長約4kmのうち約1kmが通常探勝ルートとなっている。さらにヘッドランプをつけて真っ暗闇を進む要予約の冒険コースもある。支洞が多く、西本洞・中央洞・東本洞の三洞を幹線として、そこから分かれる支洞は西本洞5、中央洞4、東本洞15もあり、各々連結し計24本の洞窟が迷路を形成している。洞内に入って最初に「石花殿」がある。粒つぶの鍾乳石を石の花と見たてたものである。

鍾乳石の数は驚くほど多く、長いものは10m、大きいものは直径4mに達するものがあり、多種多様の鍾乳石、石筍、石柱が見られる。ここは「千仞の間」という。洞内で一番天井が高く30mほどある。

これは「雲の掛橋」という。石灰岩の柔らかい部分が溶けて硬い部分が残され、中空にかかる雲の橋のように見た。

これは「青龍石」という。青龍刀の形をしているので名付けられた。

左の巨大な柱に見えるのは「天降石」と呼ばれ、高さが11mある洞内最大の鍾乳石である。右の鍾乳石は高さが6mあり、「絞り幕」と呼ばれる。

この滝は、洞内最大の滝で高さが11mある。昭和6年にこの滝を登り龍河洞全貌を発見した「記念の滝」という。

この「紀念碑」は、昭和6年(1931)旧制海南中学校の山内浩・松井正実教諭が龍河洞の全貌を明らかにした記念碑である。

ここは「高僧修行の跡」と呼ばれる。1892年徳島県地福寺の和尚が3週間立て籠り修養されたと言い伝えられ、昭和6年の全貌発見時には当時の石ぐろが残っており、平成元年にこの碑が建立された。

金網で保護されているここは、「前の千本」という。小さい石筍がニョキニョキと生えている。

ここは「龍宮殿」と呼ばれる。どこにもよくある名前だが、どこが龍宮のようなのかはわからない。この近くに「冒険コース入り口」がある。

ここは「奥の千本」と呼ばれる。青や緑の照明が幻想的な雰囲気を醸し出すという趣向だろうが、かえって興ざめがする色合いである。