半坪ビオトープの日記

沖縄、玉泉洞


7月中旬の連休に、知人の退職記念旅行を企画・引率し、大人数で沖縄を訪ねた。レンタカーの受付に手間取り、昼食は予約した「糸満漁民食堂」に間に合わず、近くの「道の駅いとまん」にて、最初の沖縄料理を口にした。簡素な「南の駅食道」の名物「骨汁定食」は、写真右上の豚の骨を煮込んだスープだが、てんこ盛りの骨にこびりついた肉の味はとても繊細だという。手前の「チキアギ」は、鹿児島で「つけ揚げ」とも呼ばれる「さつま揚げ」のことで、魚のすり身を揚げたものである。

「南の駅食道」には、てびち汁定食、中身汁定食、ソーキ汁定食などの沖縄家庭料理がたくさん用意されている。中でもイナムドゥチ定食は、沖縄風豚汁で甘口の白味噌仕立て。祝い事や親戚が集う時にふるまわれる家庭料理であり、具材は豚肉・コンニャク・シイタケ・カマボコなど。美味しそうなので頼んだが、見た目は油揚げが目立って、汁の量も期待外れに少なかった。それでも付け合せに刻み昆布のクーブイリチーやミミガーなどがあったので、一応満足した。

糸満から南西に進んで、沖縄最大のテーマパーク「おきなわワールド」に着いた。広大な敷地には琉球王国の城下町を再現した町並みや、鍾乳洞、ハブ博物公園、熱帯フルーツ園、琉球ガラス工房などの施設がある。入り口には大きなシーサーがいくつも居ならび、四方に睨みをきかせている。

入り口周辺には真っ赤なサンタンカの仲間のイクソラ・コッキネア(Ixora coccinea)が咲き誇っている。サンタンカ属=イクソラ属のIxoraとは、サンスクリット語の「シバ神」をポルトガル語訳した言葉とされ、シバ神にこの花を供えたことに由来するという。サンタンカは、江戸時代中期に日本にやってきたが、沖縄では普通に見られる花木で、オオゴチョウ、デイゴと並び沖縄三大名花の一つに数えられる。

敷地内にある玉泉洞は、かつては「ウワーガーガマ」と呼ばれていた鍾乳洞で、1967年に愛媛大学学術探検部により全容が明らかにされ、1972年から観光用として公開されている。沖縄県博物館相当施設および国の天然記念物に指定されている。

玉泉洞の鍾乳石の数は100万本以上で国内最多、全長は5000mで国内最大級といわれ、現在890mを公開し、残りは研究用として保存されている。洞内に入ってすぐの巨大空間は東洋一洞と呼ばれ、首里城の正殿も納まるといわれる。

辺り一面が鍾乳石の世界で、天井からは数え切れないほど多数のつらら石が垂れ下がり、床には無数の石筍や石柱が林立し、異様な地下風景が展開している。

洞内の鍾乳石には、所々、名札が置かれているが、この「夫婦岩」など、どれを指しているのか見当がつかないものもいくつかある。

東洋一洞の中でも大きな石筍が居並ぶ一帯で、最大と思われる中央の石筍が鍾乳洞では定番の「岩窟王」と呼ばれる。

玉泉洞の入口から最初の巨大空間世界一洞に降り立つと、洞内を流れる川の上流、右奥にも白銀の太い石筍がいくつも並び立っていて、正面には「銀柱」の標識がある。その左奥には、玉泉洞で最も白いといわれるロケットのような「昇竜の鐘」がある。

世界一洞から左に鍾乳洞が地下の川に沿って続いている。まるでつららのような無数の鍾乳石が垂れ下がっている「槍天井」は、玉泉洞の鍾乳石が100万本以上あるという話を納得させるだけの迫力がある。

こちらの楯状鍾乳石・シールドは、洞窟の層理から浸み出す地下水の毛細管現象によって、庇のような円盤状の鍾乳石が発達することによって形成される。