半坪ビオトープの日記


当麻寺には平安時代に四十余房、江戸時代にも三十一房の僧坊があったと記録されるが、中之坊は筆頭寺院として最も古い由緒と高い寺格を持つ。
右に本堂があり、こけら葺きの書院の向こうには、東塔が見える。書院と塔のあいだに庭園がある。

当麻寺が開創された際、役行者熊野権現を勧請し、出現した場所に道場を開いた。奈良時代には中院、その後中院御坊、中之坊となった。
弘仁時代に弘法大師が中之坊実弁を弟子として真言密教を伝え、以後真言宗の道場となった。庭園、書院、霊宝館などの寺宝を残すほか、中将姫ゆかりの品々も多い。

本堂は奈良時代に中将姫が剃髪した授戒堂で、剃髪堂とも呼ばれ、桃山時代の再建である。平安時代に中将姫の守り本尊である十一面観音を刻み本尊とした。

一番奥にある十一面観音は、中将姫を手引きした「導き観音」と呼ばれて親しまれ、進学、就職、結婚など人生の節目に祈願に訪れる人が多い。女人の守り本尊としても信仰されている。

本堂の裏にはこの茶筌塚や髪塚などがある。

中将姫誓いの石は、一心に仏道を志す中将姫の強い信念により不思議にも石に足跡が付いたもので、それ以後女人禁制が解かれたという。