半坪ビオトープの日記

飯沼観音(円福寺)


銚子駅の東1.5kmほどのところに本堂が飯沼観音として有名な円福寺がある。正式には真言宗の飯沼山圓福寺という。
江戸時代に建立された仁王門のほか、本堂・鐘楼・大師堂・多宝塔など全ての建物が銚子大空襲で焼失した。

元々の寺域は広大で、本堂(観音堂)から南に200m離れた大師堂(本坊)周辺までの一帯が境内だったが、現在は店舗などで分断されている。
本堂の前に大仏が座っている。正徳元年(1711)に鋳造された青銅製の阿弥陀如来座像で、高さは約5mある。戦争中に受けた弾痕が残っているという。

「飯沼山観世音縁起絵巻」などによると、神亀5年(728)漁師の清六・長蔵の夢に現れた観音のお告げの通り、左脇にメノウを挟んだ高さ約2尺の十一面観音像を海から引き上げた。二人は草庵に奉ったところ奇瑞を感じて出家した。弘仁年間(810-24)に弘法大師がこの観音像を見て、台座と光背を造り開眼供養した。銚子地方を治めていた海上氏が伽藍を建立し、天正6年(1578)には8間四方の観音堂が建てられた。安永4年(1775)に10間四方の銅葺に改築されたが、昭和の戦災で焼失した。現在の本堂は、昭和46年(1971)に再建され、近年改修もされた。

寺に伝わる鋳銅鐃(にょう)は平安時代初期の作で、国の重文に指定されている。享徳11年(1462)銘の梵鐘と寛文9年(1669)作の刺繍/釈迦涅槃図は、ともに県の有形文化財に指定されている。
本尊の十一面観世音菩薩を安置する本堂は、観音堂とも呼ばれ、円福寺も飯沼観音の名前で親しまれている。

平成21年に五重塔が建立されている。3間五重塔婆、屋根銅板葺き、高さ約33mであり、真新しい朱塗りの塔が大空に聳えている。構造は鉄骨造だが、外部の柱その他は国産檜で、外観からは木造と見える。

観音堂から境内を見返ると、大仏様の背中が小さく見え、鐘楼と仁王門が意外と大きく見える。

観音堂の左手には、飯沼水準原標石がある。明治5年(1872)に来日し、日本各地の河川や港湾事業に従事したオランダ人技師リンドにより設置された。この石が日本の河川測量の原点であり、日本水準原点設置の原点でもある。東京湾平均海面を基準とする日本水準原点は、千代田区永田町1丁目にあり、明治24年(1891)に設置されたのでその先駆けといえる。

水準原標石の左手に石碑がいくつか並んで立っている。