半坪ビオトープの日記


当麻寺塔頭・西南院は、当麻真人国見が麻呂子親王によって草創された万法蔵院を、白鳳12年、百済の僧正恵潅を導師に迎え当麻寺として遷造した時、坤(裏鬼門)の守り寺院として創建されたのが始まりである。その後、弘仁14年に弘法大師が留錫した時より真言宗となった。

関西花の寺第二十一番として、境内に入るとたくさんの牡丹の花が満開であった。本堂には本尊の十一面観音などが安置されている。

撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せるが、弘仁時代の作である本尊の十一面観音菩薩は、一言の観音ともいう。端正な目鼻立ちと均整のとれた体付きは慈悲そのものを表すとされる。右の聖観音菩薩も弘仁時代の作で、肢体は豊満で腰をわずかにひねって悠然と立つ。左の千手観音菩薩は藤原時代の作で、全体に均整がとれていて優美である。三つとも重文に指定されている。

江戸時代初期に造られた西南院の池泉回遊式庭園は、山裾に樹木を植え込み、心字池に亀島、鶴島の石組みを配し、西塔を借景にして変化に富む名園である。

心字池の両端には水琴窟があり、妙なる音色を出している。水琴窟は、江戸の庭師によって文化文政の頃考案されたという。つくばいより流れ落ちた水が、土の中に隠された素焼きの壺の中の水面に落ち、その音が反響して琴に似た音色を出すものである。2ヶ所も設けられているのは珍しいが、近年に復元されたものという。

奈良時代最末期から平安時代初頭に建てられた西塔は、東塔とは違い、三層ともすべて3間である。高い所に上れば東西両塔を眺める場所もあるそうで、紅葉の季節には写真マニアがたくさん集まるという。