半坪ビオトープの日記

コロッセオ


ローマ観光二日目は、古代ローマの中心地、フォロ・ロマーノとクイリナーレの丘周辺が目玉である。朝早くサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂から南に向かうと、トラヤヌス帝の浴場、ドムス・アウレアの脇を通り、コロッセオに着く。この辺り一帯の高台はエスクィリーノの丘と呼ばれ、古代ローマ遺跡があちこちに残存している。
このトラヤヌス帝の浴場は、紀元104年に着工し109年に完成した。537年、ゴート族がローマを包囲し、ローマ水道を破壊したため公衆浴場は使えなくなり、廃棄された。

トラヤヌス帝の浴場跡のすぐ先には、大きなコロッセオ(Colosseo)の姿が認められる。

トラヤヌス帝の浴場跡地には浴場より以前に、第5代皇帝ネロの豪華な黄金宮殿(ドムス・アウレア)があった。ドムス・アウレア(Domus Aurea)は、64年のローマ大火後に建設された誇大妄想的な巨大宮殿で、敷地は50haとも150haともいわれる。ネロの死後104年に火災に遭い、敷地は次々と公共建築用地に転用され、急速に消滅し全容は不明。15世紀末に地下の装飾の一部が知られ、近年、トラヤヌス帝の浴場跡地の裏手にドムス・アウレアの入口があって、一部が限定公開されている。

コロッセオはローマ帝政期に造られた円形闘技場で、建設当初の正式名称はフラウィウス円形闘技場ラテン語:Amphitheatrum Flavium)という。1980年に世界遺産に登録され、50件以上のイタリアの世界遺産の代表ともいえる一大観光名所である。

長径188m、短径156mの楕円形で、高さは52m、約5万人を収容できたとされる。あまり大きいので近寄ると全景を一枚に収めることはできない。外観は美しいアーチ型が並ぶ4階建で、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式、4階はイオニアとコリントの両様式組み合わせのコンポジット式と、様式の違うアーチで飾られ、最上部には支柱を立てて日よけのテントで覆っていた。

コロッセオの建築工事はウェスパシアヌス治世の70年に始まり、ティトゥス治世の80年に完成した。使用開始にあたっては、100日間にわたり奉献式が行われ、模擬海戦が行われるとともに剣闘士試合で様々な猛獣5000頭が殺され、数百人の剣闘士が命を落としている。なお、続くドミティアヌス帝の治世中にも拡張工事が続けられ、一般市民や女性が座る観客席の上層部と天幕が完成した。

コロッセオの建築目的は、貴族や市民の娯楽のために、剣闘士の戦いなどの催し物を見せることにあるとされる。催し物には、模擬海戦のほか、剣闘士と猛獣、あるいは猛獣同士の戦いだけでなく、犯罪人の処刑も行われたという。ローマ帝国キリスト教化に伴い血なまぐさい剣闘士競技は禁止されたといわれるが、6世紀でも修復の記録が残っているので、古代末期まで競技場として使用されていたとされる。

断面図を見ると、高さ52mの前列が元老院階級席、中列が騎士階級席、その後ろが裕福なローマ市民席、最後列が一般市民と女性席となっている。

構造はローマン・コンクリート(火山灰を利用したコンクリート)とレンガでできている。鉄骨を用いないコンクリートにも関わらず幾多の地震の際にも崩壊しなかったのは、全体が円筒形で力学的に安定していたためである。また人力エレベーターも設置され、剣闘士入場や猛獣の登場などに使用された。

円形闘技場に入るアーチは全周で80箇所あり、そのうち皇帝や剣闘士専用のものを除く76のアーチには番号が付され、入場券にその番号を記して混乱せずに入場する工夫があった。
闘技会は早朝から開始され、最初に着飾った剣闘士の入場式があり、午前中は野獣狩りが行われた。午後になると罪人の処刑が行われ、武器を持たされ罪人同士で死ぬまで戦わされるか、剣闘士と戦って殺されることになる。その後、剣闘士の試合が始まる。決着がついた後、試合の敗者については観客が助命か処刑かを選択した。当初は多くの者が助命されたが、徐々に処刑が多くなったという。ともかく昼食も供され、闘技会は丸1日の催し物であった。

剣闘士の起源は不明だが、剣闘士試合の最古の記録は、紀元前264年にローマのマルクス・ユニウス・プルトゥスとデキムス・ユニ・ウスペラの兄弟が父の葬儀に際してボアリウム広場での試合である。そうした追悼闘技会の規模が大きくなり、世俗化して見世物となり、政治家のプロパガンダの場となっていった。ローマ帝国の領土拡大に伴い大量の戦争捕虜が手に入り、多くの者が剣闘士にさせられた。中には女性剣闘士もいたという。共和制期には下層階級の者が剣闘士試合に出ることがあったが、帝政期に入ると騎士階級や元老院階級の者までもが出場した例があり、極端な例としてコンモドゥスは皇帝でありながら自ら剣闘士として闘技会に出ている。

半円形のアーチ型窓からは、フォロ・ロマーノの様子が垣間見ることができる。壁に空いている幾つもの穴は、修繕時など足場用の角材を固定するのに使用した穴である。

現在は地下部分が露出しているが、細かく区分けされて剣闘士の待機場所、猛獣や機材などの保管場所となっていた。地下の見学は予約制になっている。

天上部分は開放されているが、日除け用の天幕を張る設備があった。皇帝席には一日中直射日光が当たらないように設計され、一般の観客席も一日に20分以上日光が当たらないように工夫されていたという。