半坪ビオトープの日記

ディオクレティアヌス浴場跡


マッシモ宮とその北西にある共和国広場の中間に「ドガリのオベリスク」が建っている。古代ローマに運ばれたこのオベリスクは、イシス神殿近くに建てられたが、その後倒壊し地中に埋もれていた。1883年に発掘され解読されたがまた放置された。エリトリア戦争で1887年、エチオピアドガリでの戦いで、イタリア軍エチオピア軍に攻撃され548名が全滅した。戦没者全員の氏名が彫られたプレートをつけて、このオベリスクが慰霊碑としてテルミニ中央駅前に建てられ、「ドガリのオベリスク」と名付けられた。駅前広場が五百人広場と呼ばれるのも戦没者数に因んでいる。1924年現在地に移された。本体は約6m、台座を含めると約15mの高さがある。

共和国広場に面したサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会は、ディオクレティアヌス浴場跡のうちテピダリウム(微温浴室)を聖堂に改造したものである。その右側面に沿ってまわり込んでいくと、ディオクレティアヌス浴場跡入口に至る。

ディオクレティアヌス浴場跡入口には、カップ型の噴水がありカップの縁から八方へ勢いよく水を飛ばしていた。

この浴場は、298〜309年の間にディオクレティアヌス帝の命により造られ、ローマ時代最大の370×380mの広さを誇り、一度に3,000人が利用できたという。外壁の前には何本も古代ローマの柱の残存が立ち並び、壁際には多くのレリーフなどが無造作に並べられていた。

浴場の内部にはカルダリウム(熱い湯)・テピダリウム(ぬるま湯)・フリギダリウム(冷たい水)と三種類の浴槽、運動室、更衣室、集会堂を備え、ローマ市民の憩いの場であった。広い中庭を巡るキオストロ(回廊)には、100本の列柱とアーチの上を正方形の窓と丸窓が互い違いに交差している。1561年、時の教皇ピウス4世が荒廃した浴場跡地に回廊付き中庭のある修道院と大聖堂を建設するため当時86歳のミケランジェロに設計を依頼した。3年後に彼が亡くなると弟子のヤコボデルドゥーガが遺志を引き継ぎ完成させたが、「ミケランジェロの回廊」と呼ばれている。

修道院は1889年、古代ギリシア古代ローマの彫刻・壁画などを展示する「ローマ国立博物館」として生まれ変わった。回廊の壁際には、大理石の胸像・彫塑・碑銘・礎石などが整然と並んでいる。

これはブルータスの胸像である。ブルータスとは、ブルトゥスの英語読みで、共和制末期の政治家。ユリウス・カエサル暗殺の首謀者とされるマルクス・ユニウス・ブルトゥス(BC85-42)を指す。

二日目のローマもピッツェリアで夕食。Est! Est! Est!という店は、テルミニ駅近くにもレストランがあるが、こちらのPIZZERIAの方が入りやすい。

前菜として、水牛のモツァレラ(mozzarella di bufala)と生ハム(speck)などの盛り合わせ(Antipasto Assortito)を頼む。モツァレラは水牛の方がよりクリーミーで美味しい。ローマのモツァレラは以前はほとんど水牛のものだったが、最近は牛のものが多くなっているといわれる。

こちらは、アーティチョークのオリーブオイル漬け(Carciofini sott’ olio)。アーティチョークの美味しい食べ方を教えてもらった感じ。

このピザは、ナポリターナ。生地が気持ち厚めで、モツァレラ、トマト、アンチョビーがたっぷり乗っている。

こちらはよく食べる、ペンネ・ア・ラ・アラビアータ。本場だと一味違う感じがする。

これはメッツィ・リガトーニカルボナーラ(mezzi rigatoni alla Carbonara)。mezzi rigatoniとは、太めのショートパスタ。日本ではあまり見かけない形だが、意外と食べやすく美味しい。