半坪ビオトープの日記

エマヌエーレ2世記念堂、聖イグナツィオ教会


コロッセオからローマの中心地といわれるヴェネツィア広場まで、フォロ・ロマーノの東側一帯に古代ローマの帝政時代を通じて歴代皇帝達が整備した公共広場があり、フォーリ・インペリアーリと呼ばれる。人口増加によりフォロ・ロマーノが手狭となったため、紀元前54年に当時の皇帝カエサルが私財を投じて列柱で囲まれた「カエサルのフォロ」を造ったのが始まりである。「カエサルのフォロ」と道路を挟んで向かい合って「アウグストゥスのフォロ」があった。正面に見えるように現在は右端の4本の列柱が残るのみだが、かつてあった神殿の背後には30mの防護壁が完全に残っている。この神殿の建立は、ブルータスと対戦した紀元前42年のフィリッピの会戦前夜に、「この戦いに勝たせてくれたら神殿を捧げる」と祈った、マルス神への誓約を果たすためだった。オクタヴィアヌスアウグストゥス)は、カエサルを刺殺したブルータスをマケドニアのフィリピで倒す(紀元前42年)と、復讐神マルスに捧げる神殿を造った。

アウグストゥスのフォロ」の右手(南東)にも遺跡が続き、さらに右手には「ネルヴァのフォロ」がある。一番右端の白い2本の円柱が認められる遺跡がミネルヴァ神殿で、ローマ三主神の一つミネルヴァ像が上部に残っている。ヴェスパシアヌスの次男ドミティアヌス帝が64年と80年のローマ大火からの再建を願ってフォロの建設を計画した。ネルヴァの治世に完成したのでネルヴァのフォロと呼ばれる。

フォーリ・インペリアーリ通りを北西に進むと、トラヤヌスのマーケットに続き「トラヤヌスのフォロ」がある。古代ローマに築かれた皇帝達のフォロのうち、最後に建設されたフォロである。トラヤヌス帝のダキア戦争での勝利を記念して造られた。フォロは112年に、トラヤヌスの記念柱は113年に落成した。トラヤヌスの記念柱は、元老院の依頼により、ダマスカスの建築家アポロドーロスの式で建設されたという。ダキア戦争叙事詩的に描いたフリーズ(帯状レリーフ)が円柱の表面に螺旋状に23回まわって描かれ、フリーズの長さは190mになる。柱の高さは約30m、台座を足すと約38mになる。円柱の内部には185段の階段があり、頂上の展望台まで登れるようになっている。頂上にはトラヤヌス像が置かれていたが中世期に失われ、1587年、シクストゥス5世の命により置かれた聖ペトロ像が現在も載っている。トラヤヌスのフォロは記念柱の右手に、神殿、図書館などが建っていたが、今では円柱が十数本立てられている。
右手、トラヤヌスの記念柱のすぐ後ろに見えるのは、サンティッシモ・ノーメ・ディ・マリア・アル・フォロ・トライアノ教会で、記念柱の左手に見えるのは、サンタマリア・ディ・ロレート教会である。

フォーリ・インペリアーリ通りの突き当たりは、ローマの中心といわれるヴェネツィア広場で、ローマの主要な道路が四方に伸びている。ヴェネツィア広場の南には、堂々としたヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂が建っている。単にヴィットリアーノとも呼ばれるこの建物は、イタリア統一記念として建てられた。1885年、サヴォイア朝によるイタリア王国を成立させたヴィットーリオ・エマニエーレ2世を王国の国父としてその偉業を称えるべく息子のウンベルト1世の治世に建設が開始され、1911年に落成式が行われ、1925年に完成した。

建築家ジュゼッペ・サッコーニにより設計されたネオ・クラシック様式で、パンテオンと同じコリント式の16の円柱が弧を描くコロナーデ、噴水、大きな階段などが圧巻である。建物上部にはクアドリガに乗る勝利の女神ヴィクトリアの彫像が2体配置され、建物正面には国王エマニエーレ2世の騎馬像が設置されている。建物の幅135m、高さ70m、屋上に向かうエレベーターも設置され、屋上からはローマの市街地を一望できる。この桁外れの大きさと独特の設計は、ローマのランドマークと呼ばれる一方、真っ白なウェディングケーキとか巨大な入れ歯とか揶揄する声もあるとかいわれる。

ヴェネツィア広場から北へコルソ通りを進むと右側にサン・マルチェロ・アル・コルソ教会がある。正面のファサードの両脇には聖者と思われる像が立ち、玄関のすぐ上のメダルには13世紀の聖フィリッポベニーツィが描かれている。教皇の有力候補だったが嫌って、コンクラーベ教皇選挙)の際、トスカーナ地方のアミアータ山の洞窟に隠れたという。バロック様式ファサードの作者は、ベルニーニの弟子のカルロ・フォンターナである。内部にはキリスト磔刑の絵や像が安置されている。

コルソ通りを北上し、パンテオンに向かって左折し、狭いカラヴィタ通りを進むとすぐ左手に聖イグナツィオ・ディ・ロヨラ教会がある。

教会内部はスコッタ装飾があしらわられ、大理石をふんだんに使って豪華な雰囲気を醸し出している。

天井画は聖イグナツィオが世の中及びキリスト教のためにいかに貢献したかを賞賛するもので、製作者はアンドレア・ポッツォである。

この教会は、イエズス会の創設者・聖イグナツィオに捧げるために1626年から1650年にかけて建てられたもので、設計者はジョバンニ・トリスターノである。主祭壇の周りも多くの絵画や彫刻が豪華にちりばめられている。

主祭壇の手前の天井にはキューポラがあるのだが、実は単なる平らな天井にアンドレア・ポッツォが遠近法を用いて半球体のキューポラを描いた絵に過ぎない。資金不足によってキューポラが製作できなかったためといわれるが、先ほどの天井画もよく見るとトリックアート的に遠近法を駆使して立体感を強調している。