半坪ビオトープの日記


最後に訪れたのは、当麻寺當麻寺、たいまでら)である。当麻寺といえば、当麻曼荼羅を織り上げた中将姫の物語、折口信夫の「死者の書」を思い出す。二上山に夕日が沈むときに見た大津皇子の幻のために、藤原南家の娘、中将姫は一心不乱に曼荼羅を織り上げていく、折口の代表的な幻想小説である。  
西方浄土の象徴といわれる二上山の麓にある、当麻寺の創建についての詳細は不明で諸説ある。一説には、豪族当麻氏の氏寺として飛鳥時代に建立されたものという。
また、当麻寺縁起によれば、推古天皇20年(612)聖徳太子の異母弟・麻呂古王が創建した寺院を後に移設したとされる。
山門(仁王門)をくぐると、梵鐘と中之坊などの堂宇が立ち並ぶ様子が見える。

梵鐘は無銘ながら作風等から創建当時の遺物と推定され、太宰府観世音寺や京都妙心寺の鐘と並んで、日本最古級の梵鐘として国宝に指定されている。

当麻寺には中之坊のほか多くの僧坊がある。中之坊の裏には東塔が立っている。奈良時代末期の建立と推定されている国宝で、塔上の宝輪の上の水煙が魚の骨のような風変わりなデザインである。

中之坊の向かいには宗胤院と千佛院という僧坊が並んでいる。千佛院には石庭付回遊式庭園があり、牡丹園と日本さくらそうの寺と銘打っている。

右にある講堂、左にある金堂の間を抜けて、本堂で拝観の受付をする。曼陀羅堂とも呼ばれる本堂は、天平時代建立の国宝で、中将姫が蓮糸で一夜で織り上げたという伝説の当麻曼荼羅(古曼荼羅)を文亀年間に転写した文亀曼荼羅(重文、室町時代の絵)を安置している。国宝の古曼荼羅は絹織物で、傷みが激しいが秘蔵されている。

鎌倉時代末期の乾元2年(1303)の再建である講堂は、寄棟造り本瓦葺きで、本尊阿弥陀如来座像(重文、藤原時代)など多くの仏像を安置している。