半坪ビオトープの日記

伊勢命神社

伊勢命神社
五箇には多くの見所があるが、そこは最終日に回して、五箇の北部にある久見の集落の氏神である、伊勢命神社を訪れた。隠岐4大社の一つであるけれども、小さい集落に見合ってか、境内地は小さい。それでも久見は西日本最大の黒曜石の産地であった。2017年には、旧石器時代の久見の宮ノ尾遺跡が、黒曜石の採掘から石器製作までの「原産地遺跡」だったと発表された。隠岐の黒曜石石器は中国地方を中心に西日本各地に運ばれたという。約2万2千年から1万6千年前の後期旧石器時代の槍先形尖頭器の石器の特徴から、東日本から移動してきた旧石器人が作ったと見られている。

伊勢命神社、随神門

創建は不明だが、社家の伝えによれば、伊勢族が隠岐島に来住した当初、毎夜に海上を照らしながらやって来る神火(怪しい火)があり、それが現鎮座地の南西5.5km隔たった字仮屋の地に留まるので、その地に小祠を建てて祖神である伊勢明神を勧請奉斎したところ神火の出現も止んだといい、その祠を後に現在地に遷座したものであるという。正倉院文書の天平4年(732)『隠岐国正税帳』には役道(穏地)郡の少領として磯部直万得という名が見え、また島前ではあるが平城京出土木簡に知夫里評の石部真佐支との名が見えるので、隠岐国に磯部(石部)が置かれていたことがわかる。磯部は『古事記応神天皇段に海部とともに設置されたと記す「伊勢部」のこととみられ、磯部を介した伊勢との関係が窺える。当社の創祀には磯部氏を頂点とする海民の動きが推察される。ここにも随神門と瑞垣が設けられている。

伊勢命神社、拝殿

祭神として祀る伊勢命は、他に見えない隠岐国独自の神であるが、神名や磯部との関係から、海人を介して伊勢地方と深く繋がる神と推察されている。また、祈雨に効験があるとの信仰もあるという。

拝殿
六国史の『続日本後紀』嘉祥元年(84811月壬申条に名神大社列格の理由が明示されている。中世以降は武家により崇敬され、近世以降は八幡氏により継承されている。

伊勢命神社の本殿
伊勢命神社の本殿は、天保9年の久見集落を焼き尽くす大火により焼失した後、天保12年(1841)に再建された隠岐造の3間社で、玉若酢命神社や水若酢神社の2社に次ぐ規模である。屋根は昭和43年に銅板葺とされた。本殿及び拝殿は、隠岐の島町有形文化財に指定されている。

伊勢命神社の本殿
例祭には夜を徹して久見神楽が奉納される。この久見神楽は、国の選択無形民俗文化財島根県の無形民俗文化財に指定されている。なお、神社近辺に放生会田、会串田、鏡餅田などの地名があり、かつては両部神道による神事が行われていたと推測されている。

本殿の妻飾り
本殿の妻飾りを見ると、ここもまた、水若酢神社の本殿と同様、二重虹梁と平三斗の組み合わせが重厚な趣をなしている。

本殿の妻飾り

しかしよく見ると、水若酢神社の本殿の妻飾りと打って変わって、二重虹梁と平三斗の周りに細長い龍が2匹、くねくねとまとわりついて頭や胴を垣間見せている。向拝に龍が絡みつく意匠はよく見かけるが、妻飾りの二重虹梁の間にこんな趣のある龍を施すのは特異といえよう。

熊野大明神
境内社として、熊野大明神が祀られている。

左手には若宮大明神、中央左に愛宕大明神、中央真ん中に三笠大山大明神、中央右に住吉大明神、右手には稲荷大明神
他にも境内社が並ぶ。左手には若宮大明神、中央左に愛宕大明神、中央真ん中に三笠大山大明神、中央右に住吉大明神、右手には稲荷大明神が祀られている。