半坪ビオトープの日記

金刀比羅宮、書院


金刀比羅宮は、金毘羅宮とも書かれ、こんぴらさんと呼ばれて親しまれている。
名物の長い石段が続く参道は、本宮まで785段、奥社の厳魂神社まで1368段を数える。本宮までとしても膝に不安があるので、大門までの365段を参拝登山タクシーで上がった。
二層入母屋造瓦葺きの大門は、水戸光圀の兄である松平頼重から寄進された。楼上には、有栖川宮熾仁親王筆の「琴平山」の扁額が掲げられる。門から先が境内で、特別に営業を許可された五人百姓が加美代飴を売っている。

大門までの参道の両側には土産物店がずらっと並んでいるが、大門近くになると傾斜もきつくなり店も少なくなる。遥か彼方には讃岐平野が見える。

大門のすぐ手前右側には金刀比羅本教の総本部があり、その前に青銅大灯籠が立つ。金刀比羅宮へ奉納された青銅灯籠の中で最も豪華なもので、同型のものが山形の山寺に一基、宮城の金華山黄金山神社に一対奉納されている。

大門のすぐ下に鼓楼が建っている。今でも朝夕に打ち鳴らされる時太鼓を備えた高閣で、宝永7年(1710)に建立されている。

大門から150mほど続く石畳の参道は、桜馬場と呼ばれる。道の両側の玉垣の内には数十株の桜が植えられ、その間に無数の石灯籠が立てられている。

桜馬場の右手の一段高い岡は、青葉岡と呼ばれる神苑の一区で、そこに宝物館が建っている。明治38年に建てられた、二層入母屋造瓦葺、玄関は唐破風銅葺という和洋折衷の重厚な建物である。館内には三十六歌仙額、平安時代作で重文の十一面観音像などが陳列されている。

宝物館に続く脇道に、小林一茶の句碑が建っている。寛政6年(1794)当時32歳の一茶がこんぴら参りをした際詠んだ句である。
おんひらひら 蝶も金比羅参哉

桜馬場を進み青銅鳥居をくぐって石段をさらに上ると、とりわけ大きな鳥居が現れる。桜馬場西詰銅鳥居という。その近くには御厩があり、大きな高橋由一館が建っている。

参道突き当たりの右手に書院の勝手口である社務所門があり、くぐると表書院が建っている。表書院では円山応挙の障壁画が公開されているが、残念ながら見落としてしまった。

木馬舎、黒門、四脚門を通り過ぎ、しばらく石段を上がると正面に旭社が見えるが、本宮参拝後に寄ることになっている。旭社までの石段の途中右側に広場があり、祓戸社と火雷社が建っている。右の祓戸社は祭神として、瀬織津姫神・速秋津姫神気吹戸主神・速佐須良姫神を祀っている。奥の本殿は、流造銅板葺である。

左の火雷社には、火産靈(ほむすび=かぐつち)神・奥津比古神・奥津比賣神に座して、八衢(やちまた)比古神・八衢比賣神・來名戸神が合祀されている。鎮火・消防の神、疫病を防ぎ止める神といわれる。