半坪ビオトープの日記

花巻温泉、賢治記念館


予定を大幅に変更して秋田駒ヶ岳に登ったため、花巻市内の観光地巡りは省略して花巻温泉に泊まった。花巻駅の北西方向の森林地帯に散在する花巻温泉郷には、台川沿いの花巻温泉や台温泉、豊沢川沿いの鉛温泉志戸平温泉など12もの温泉が湧出している。中でも4つの大型ホテルや旅館を擁する花巻温泉には、宮沢賢治が設計した日時計花壇が含まれるバラ園もあり、南部赤松林に囲まれて大自然も満喫できる。

無色無臭の温泉の泉質は、ナトリウム―硫酸塩・塩化物泉(低張性アルカリ性高温泉)で、つるつるした肌触りであり美肌効果があるといわれる。源泉温度は58.2℃である。
檜の露天風呂に浸かりながら周りの木々を眺め、台川のせせらぎや野鳥のさえずりを耳にして、のんびりゆったりできる。

翌日は平泉の中尊寺周辺を観光する予定だが、花巻市宮沢賢治記念館だけ訪れた。花巻市街地から北西約4kmにあり、賢治も親しんだ胡四王山一帯には、賢治記念館、ポランの広場、賢治イーハトーブ館、賢治童話村などが集中している。

宮沢賢治記念館は、没後50年に開設された記念館で、詩や童話、教育、信仰、農業、科学と多彩な活動を繰り広げた賢治の世界に触れることができる。

宮沢賢治の生きた時代(明治29年〜昭和8年)は戦争が多く、地震津波、凶作や不景気などで不幸に苦しむ人が多かった。その中で賢治は妙法蓮華経に深い感動を受け、法華経の教えを基盤に、天性の鋭敏な感受性と表象力で創作しながら、当時の貧しく労多い農民の生活を豊かにするため尽力した。その生涯は菩薩行そのものといえよう。盛岡高等農林学校で地学や農業や化学を学び、農学校の教師となり、冷害などで苦しむ農民のために羅須地人協会を開き、稲作指導に力を尽くした。ここには宮沢賢治の愛用品、自筆原稿、農民指導のための教材絵図などが展示されている。写真は撮らなかったのでパンフの切り抜きを載せる。

地質学の実習に生徒たちとよく訪れたというイギリス海岸は、賢治自身の散策や思索の場でもあった。東に早池峰山を望み、北上川猿ヶ石川の合流点から南にかけての北上川西岸に、イギリスのドーバー海峡に面した白亜の海岸を連想させる泥炭層が露出することに因み、宮沢賢治命名した。現在は渇水時のみ現れるという。

賢治記念館と同じ敷地内に「山猫軒」という、賢治の作品「注文の多い料理店」に出てくるレストランと同名の店がある。山猫ぞうすいや山猫すいとんセットなどが人気メニューだそうだが、時間が早かったので食事はせずに雨の中、平泉に向かった。