半坪ビオトープの日記

平湯神社


翌朝すぐ乗鞍岳に向かうために、岐阜県平湯温泉に泊まる。雨が降ってきたが、散歩がてら近くの平湯神社を訪れる。

創建は定かではなく、元々は、天照大神主祭神とする「神明神社」であったが、昭和55年(1980)平湯温泉の「白猿伝説」により白猿を合祀し、「平湯神社」に改称した。

平湯温泉の始まりは、戦国時代の永禄年間(1558~70)に遡るといわれる。当時は「甲斐の虎」武田信玄と「越後の龍」上杉謙信川中島の戦いなど激戦を繰り広げていた。その中で武田信玄は、信濃国飛騨国の境にある安房峠を越えて越中国へ侵攻しようと企てた。峠越えは焼岳からの硫黄ガスのために倒れる者が相次ぐ苦しい行軍となった。その時武田軍の前に現れた白猿により、滔々と湯が湧き出る温泉に導かれた武田勢は、湯に浸かって元気を取り戻し九死に一生を得たという伝説が残され、白猿伝説といわれる。その白猿を猿満大神として祀るのが猿満堂である。

平湯神社の右手の道を上っていくと、平湯民俗館が建っている。手前の茅葺入母屋造の木造民家が豊坂家住宅で、民俗館のメインの施設として公開されている。江戸時代中期(18世紀中頃)に建てられた農家である。館内には飛騨の民具、農具、衣類が展示されている。

敷地の一番奥に建つ合掌造りの民家は、民俗館の受付であり、一階には囲炉裏があって休憩所としても使われ、二階には飛騨の民具や農具が展示されている。

民俗館の右手には、「平湯の湯」という共同浴場がある。小川を配した風流な造りで、大自然に囲まれた森林浴も楽しめる。

泉温75.2℃の源泉掛け流しで、泉質は炭酸水素塩泉である。男女別屋根付露天岩風呂で、鉄分を含んだ茶色い濁り湯にゆったりと浸かることができる。

豊坂家住宅の手前に、篠原無念記念館が建っている。奥飛騨の聖人として慕われ、農山林の教育に貢献した篠原無念の資料が展示されているというが、閉まっていた。館内には、外に建つ薬師堂の原型といわれる薬師堂仏殿もあるという。

篠原無念記念館の右手前には、薬師如来が安置されているという薬師堂が建っている。