半坪ビオトープの日記

伊香保神社


10月下旬にいつもの遊び仲間と伊香保温泉に行ったが、またもや天候不順で榛名山は諦めた。雨上がりに伊香保神社だけ見た。伊香保温泉は古来より日本の名湯と謳われ、その発見は1900年前とも1300年前ともいわれ、万葉集巻14の東歌の中で9首も詠まれている。現在の温泉街が形成されたのは戦国時代である。長篠の戦いで負傷した武田兵の療養場所として、武田勝頼が当時上州を支配していた真田昌幸に命じ、整備された。中心地の石段もこの時にできた。

石段街を上りきった奥に、いで湯を神として祀る伊香保神社がある。現在の伊香保神社の由緒によると、天長2年(825)の創建とされ、旧本社とされる三宮神社天平勝宝2年(750)創祀とする。延喜式名神大社上野国三宮とされるが、その頃は里宮として今の三宮神社の地に伊香保神社があったという。

社殿は明治11年(1878)火事により全焼したため、同時に焼失していた摂社の温泉神社を明治17 年(1884)合祀して、その跡地に現社殿を再建し現在に至る。

境内には、丸い芭蕉の句碑がある。
初時雨猿も小蓑を欲しげなり 
芭蕉「猿蓑」の冒頭句であり、「奥の細道」の旅を終え伊勢へ足をのばした後、故郷上野へ帰る途中に、伊賀街道の長野峠で詠んだものとされる。
その右には自然石の万葉の歌碑がある。
伊香保ろの八尺(やひろ)の堰塞(いで)に立つ虹の顕(あらわ)ろまでもさ寝をさ寝てば(巻14-3414)

境内社として、稲荷、八幡、八坂、金稲魂、大山祇、建御名方、三峯眷属をまとめて祀っている。

伊香保神社の右手の湯元通りを進むと、湯元茶屋の先に湯川に架かる河鹿橋がある。伊香保の紅葉の名所で、既に紅葉ライトアップも始まっているが、紅葉はまだ始まったばかりで人影も少ない。

さらに湯元へ向って進むと、左側の東屋の中に伊香保温泉飲泉所がある。左からは鉄分を多く含む温泉、右からは水が出ている。大人が1日に飲める分量は600ml以下である。すぐ左隣には万葉歌碑がある。
上野野伊香保の沼に植ゑ子水葱(なぎ)かく戀ひむとや種求めけむ 
(巻14-3415)

その最奥、伊香保露天風呂の脇に、源泉湧出口観覧所がある。第2号源泉で、湧出量毎分1400ℓという源泉が勢いよく噴出する様子をドーム型のガラス越しに眺められる。茶色い湯で知られる伊香保温泉だが、涌き出したばかりの湯は、酸化していないため無色透明である。

源泉の右には、温泉療法を日本に紹介し、草津伊香保の名を広めたベルツ博士の像がある。

湯元通りを戻って、石段街に戻るところに医王寺薬師堂がある。天正2年(1574)創建の古刹で、医療を司る薬師如来が祀られ、薬効の高い伊香保温泉のシンボル的存在である。とりわけ、目の神様として信仰を集めている。