残りの飯田市内観光はまたの機会に譲って、飯田市の北東にある信州で2番目に山奥の村と呼ばれる大鹿村に向かう。古くは諏訪上下社領であったとみられ、南北朝時代には宗良親王が暮らし、後に武田信玄の所領となった。江戸時代には大河原村・鹿塩村の2ヶ村は一貫して徳川幕府の直轄領(天領)だった。明治になって2ヶ村は合併・分割した後、明治22年(1889)再度合併して以来そのままである。
大鹿村には古くから二つの温泉が知られている。大河原地区には小渋温泉があり、鹿塩(かしお)地区には鹿塩温泉がある。
この日は鹿塩川から分かれた塩川沿いにある、鹿塩温泉の湯元・山塩館に泊まった。標高750mの山中にありながら、海水とほぼ同じ塩分濃度4%の塩水が湧き出る不思議な鹿塩温泉だが、その原因はわかっていない。伝説によれば、神代の昔、諏訪大社からこの地へ移り住んだ建御名方命が大好きな鹿狩りをしていた際、鹿が好んで舐める湧き水を調べたところ、強い塩分を含んでいることを発見したといわれている。もう一説には、弘法大師がこの地を訪ね、山奥で塩のない生活に苦労する村人を憂いて杖を突いたところ、そこから塩水が湧き出たともいわれている。
明治8年(1875)旧徳島藩士・黒部銑次郎が岩塩を求めて塩泉の採掘を始め、大掛かりな製塩場を設置し食塩製造を行った。結局岩塩は発見されず、塩水が湧出する理由は未だに謎のままであり、岩塩採掘場の跡が残されている。
明治25年、鉱泉浴場として開業されたのが鹿塩温泉の始まりである。この宿の建物は平成2年に改装されたものである。ロビーには地元で獲れたツキノワグマやニホンジカ、カモシカの毛皮が広げられていた。
塩分濃度は海水と同じ4%でも、含まれるミネラル分が異なることから、中央構造線(断層)に閉じ込められた化石海水ではないとされる。泉質は透明な含硫黄−ナトリウム−塩化物強塩泉で、源泉温度は14℃なので加温している。
料理はキノコなど地元の食材がほとんどで、鯉こくも美味しい。料理の味の引き立て役として使われる塩は、源泉から毎日自家製塩している「幻の塩」ともいわれる山塩で、海の塩と違ってにがりをほとんど含まないので素材の味を壊さない。
煮物や漬物、味噌、醤油などにも山塩が使われているというので、いのしし鍋も味わい深い。
イワナの塩焼きや鴨肉の薄切りも美味しいので、地酒もついつい飲み過ぎてしまう。
板長もシェフもいない、家族的な料理を出すだけというが、どの料理も気に入り、また訪れたいと思った。陶器の茶碗蒸しもしゃれている。
翌朝も天気が良く、南信州の山深い大鹿村はとても清々しい。