半坪ビオトープの日記

金子みすゞ記念館


青い海に囲まれた景勝地・青海島を眺める長門市仙崎は、詩人金子みすゞが生まれ育った港町である。みすゞが愛した仙崎八景を見て回る時間はないので、金子みすゞ記念館だけ立ち寄った。

金子みすゞ記念館は、幼少期を過ごしたみすゞの実家「金子文英堂」の跡地に、生誕100年を記念して平成15年に建てられた。みすゞの遺稿集や当時の資料を展示してみすゞの生涯を偲ぶことができる。館内にはみすゞの詩があちこちに紹介されている。ここには「井戸ばたで」の詩が示されている。

「赤い鳥」「金の船」「童話」などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期に、彗星の如く現れひときわ光を放った童謡詩人が金子みすゞである。明治36年(1903)仙崎で生まれたみすゞ(本名テル)が、童謡を書き始めたのは20歳の頃からであった。4つの雑誌に投稿した作品全てが掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、「童話」の選者であった西条八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。
この部屋は、みすゞの部屋を再現したものである。

ところが23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられ、さらに病気、離婚と苦難が続いた。そしてついに、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまった。その後50余年、長い間埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫により再び世に送り出された。幻の童謡詩人と語り継がれたみすゞの作品は、現在512編残されている。
こだまでせうか
「遊ぼう」っていふと「遊ぼう」っていふ。
「馬鹿」っていふと「馬鹿」っていふ。
「もう遊ばない」っていふと「遊ばない」っていふ。
さうして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていふと「ごめんね」っていふ。
こだまでせうか、いいえ、誰でも。

仙崎漁港は山口県内第2位の水揚げ量を誇る、山陰有数の漁港として知られる。仙崎漁港に面して店を構え、北長門で最初に活きイカ料理を始めた「きらく」は、注文と同時に店内の生簀から引き上げられ、お客の目の前でイカをさばくという。

お薦めは「活きイカの姿造り」ということで、ちょっと奮発して姿造りを含む「朝どれイカ膳」を注文した。「イカの女王」と称されるケンサキイカの中でも、一杯一杯丁寧に釣り上げられて仙崎市場に水揚げされたものを「仙崎イカ」と呼ぶ。その活きイカのとろけるような柔らかく甘い味わいは、筆舌に尽くしがたいほど美味しい。

イカのゲソは、お好みで天ぷら、塩焼き、刺身にしてくれるという。天ぷらにしたが、これもまた味わい深いものであった。

海藻をたっぷり食べて育った北浦のウニをふんだんに使ったという「ウニめし」の方も、たいへん美味しかった。