半坪ビオトープの日記

塩原八幡宮、逆杉


日塩もみじラインの入口近くに、国の天然記念物の逆杉で有名な塩原八幡宮が建っている。

創建は大同2年(807)とされているが、社伝によれば、平安時代の康平元年(1058)に、源頼義・義家父子が前九年合戦(1051~62)に際して、ここの逆杉に神気を霊感して戦勝を祈願し、勝利のお礼として神社を創建したとされる。

この逆杉2本は、連理の御神木として古くより夫婦杉と称せられ敬われている。義家がここで戦勝を祈願したとき、箸代わりに用いたスギの小枝が根づいたとも、四方竹の代わりに差したスギ苗が育ったものともいわれている。

梢に近く高い幹に垂れた太い枝が多いところから逆杉と呼ばれるようになった。地元では逆杉に絶対に上ってはならないという禁忌が伝えられている。樹齢約1500年、高さ約40mの県内最大のスギで、全国名木100選に指定されている。西の雄杉が大きく幹周囲11.5mという。

八幡宮には、治承4年(1180)に源頼政一族が神前に鎧兜を奉納、文治3年(1187)には源有綱義経腹心の武将)が訪れ参拝している。祭神として誉田別神、素戔嗚命大山祇命源有綱を祀っている。

覆屋に守られた小さな本殿は、間口1間、奥行1間、流造の厚板葺きでケヤキ造りである。寛政10年(1798)宇都宮藩主戸田越前守の許しを得て再建されている。

八幡宮社殿の右側には、太郎稲荷神社が祀られている。八幡太郎義家に因む名なのだろうか。

社殿の左側には、小さな有綱神社がある。古来より有綱大明神として崇敬されていた。元は松の木平地区にあったが、明治17年三島通庸による道路建設に際してここに移された。左衛門尉有綱は、源頼政の孫で、義経の腹心として源平合戦に参加し平家打倒に功績があった。その後、頼朝に追われた義経と共に大物浜から船出しようとしたが難破して義経と離れ離れになり、大和の山中で北条時定の軍勢に捕われ、伊賀において自害したとされる。ところが有綱が下野国塩原に落ち延び、近くの洞窟(源三窟)に隠れ住んだという伝説が残されている。

有綱神社の裏に生える篠竹は一夜竹という。義家が戦勝祈願した際、弓に用いる矢が不足のため矢の材料である篠竹を当地で探したが、見つけることができなかった。ところが一夜明けると境内に篠竹が簇生しているのを発見し、東征に必要な矢を作ることができたという。

八幡宮と有綱神社の前に聳える杉の巨木は、氣の大杉と呼ぶ。逆杉に次ぐ大きさで霊気を発するという。

若水神社の鳥居の裏手から湧き水が勢いよく迸り出ている。若水お滝という。

湧水池の亀の島には、小さな若水神社が祀られていて、小さな橋を渡ってお参りすることができる。

若水神社のある湧水池にかけられた若水橋を渡った先に、塩原八幡宮と逆杉がある。帰りがけに振り返って見納めにした。