半坪ビオトープの日記


社殿の右側に男体山山頂奥宮への登拝門がある。毎年、開山祭り(5/5)から閉山祭り(10/25)まで開くそうだ。右手に二荒山上奥宮登拝口の標石があり、左手には本殿脇に良縁の松が見える。

鳥居をよく見ると、二荒山神社の扁額の廻りに、三つ巴の神紋が四つあるが、向きが反時計回りの右三つ巴になっている。三つ巴には、細い尾から頭への向きで時計回りの左三つ巴と、逆回りの右三つ巴の2種類あり、多くは左三つ巴であり、この二荒山神社中宮祠の拝殿や賽銭箱、唐門の軒丸瓦の神紋も、日光山内の二荒山神社本宮の神紋もすべて左三つ巴なので、この鳥居の神紋は間違いと思われる。この登拝門の賽銭箱の神紋も、左三つ巴になっている。

登拝門をくぐると杉木立の中を急な石段が続いている。これが男体山山頂奥宮への登拝道である。ほぼ一直線に約1200mの標高差を3時間半ほどかけて登るそうだ。今年の開山祭りには、300人ほどが山頂を目指したという。ちなみに昨年の登拝者は、約25000人だったそうだ。一合目の遥拝所までだと往復10分と書かれている。

引き返すと、社殿の左に登拝受付所が見える。登拝する場合、入山料500円はここで払う。右の拝殿の向かい側、つまりここから見て左にさざれ石がある。

学名は「石灰質礫岩」といい、岐阜県伊吹山が主要産地だが、これは群馬県産である。俗に「子持ち石」と呼ばれ、子授け・子孫繁栄の縁起の良い石という。

さざれ石の手前に「扇の的弓道発祥の地」の扇形の石碑がある。文治元年(1185)屋島の合戦那須与一が平家の扇を撃ち落とすとき、二荒山大神に願かけた故事にならい、弓道大会がここ中宮祠で開かれて50年ほど続いているという。拝殿の後ろに本殿の屋根だけ見える。

拝殿の後ろ、登拝口の左にある本殿は工事中でよく見えない。3間社流造銅瓦葺漆塗りの本殿は、元禄14年(1701)の造営という。中門・掖門・透塀とともに重文に指定されている。