半坪ビオトープの日記


御水舎の前で参道は直角に曲がり北を向く。高さ6mの大きな唐銅鳥居の向こうに陽明門が見える。
日本で最初に造られた青銅製の鳥居で、家光が金2000両を費やして建てた。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮の花弁が刻まれている。
東照宮陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られているという。その線を真南に行けば江戸に着き、さらに主要な建物を線で結ぶと北斗(七星)の配置となるように設計されているといわれる。

陽明門の右手には大きな鐘楼が見える。左手の鼓楼とほとんど同じ造りに見えるが、鐘楼には鶴・竜・飛竜・麒麟・波など78体の彫刻があるのに対し、鼓楼には亀・竜・雲など38体の彫刻しかない。鐘楼の手前の石垣の下にはいくつも灯籠が並んでいるが、左の石段に近い2基が、南蛮鉄燈籠という。仙台藩伊達政宗ポルトガルから鉄材を輸入し、領内の租税3年分の費用をかけて作ったと伝えられている。

石段の左にも燈籠が並び、その左手に経蔵がある。2層屋根で建物の形が12m四方の正方形をしているので、重層方形造りという。仏教の経典を納める経蔵だが、建物の真中に一切経1456部、6325巻を納めた8角形の回転式の書架がおかれていることから輪蔵とも呼ぶ。

石段を上ると陽明門の手前、左手に鼓楼がある。右手の鐘楼と同じく高さは12.6mある。鼓楼は太鼓を納める建物である。

鼓楼の近くに8角形の回転式の廻燈籠がある。オランダから贈られたもので、三葉葵の紋が逆さまについている。

隣にあるこちらはシャンデリア型の釣燈籠で、鐘楼近くに立つスタンド型の蓮燈籠とともに同じくオランダから贈られたものである。

鼓楼の先には大きな本地堂が建っている。間口21.1m、奥行14mあり、東照宮境内最大の伽藍である。本尊が薬師瑠璃光如来薬師如来)なので薬師堂、また乱世を鎮めた家康が薬師如来の生まれ変わりと考えられ、本来の仏(本地)を祀ったことから本地堂とも呼ばれる。
本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれているのが有名な鳴竜である。縦6m、横15mで、34枚のヒノキの天井板に描かれている。竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえる。元の絵は狩野永信の筆によるが、昭和36年に堂とともに焼失したため、昭和41年に竪山南風が復元した。本尊の薬師如来の両脇に、日光・月光菩薩および十二神将も祀っている。