半坪ビオトープの日記


国宝の陽明門は、真南を向いて建っている。
寛永12年(1635)に建てられた陽明門は、3間1戸の八脚楼門、入母屋造四方軒唐破風銅瓦葺の楼門建築である。高さ11.1mの2層造り、正面の長さが7m、奥行きが4.4m。胡粉(貝殻をすり潰して作った白色の顔料)を塗った12本の柱には、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られている。
1本を除き渦巻き文様は上を向いていて、猿の顔みたいに見える。

陽明門の名称の由来は、京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれるところから授かったとされ、正面唐破風下には元和3年(1617)に後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」の額が掲げられている。額の両脇にある金と極彩色に彩られた彫刻は麒麟。ビールのラベルに描かれた麒麟の身体には鱗があるが、東照宮麒麟には鱗がない。額の下で2段ずつ並んでいるのは、上が竜、下が息。「息」の読み方は不明というが、竜との違いは牙があってひげがないことと、上唇に鼻孔があることという。
彫刻の数は508体にのぼる。中央部、白塗りの横木(頭貫)に彫られた宙を舞う通称「目貫の竜」の左右に勢揃いしているのは竜馬。足に蹄のある竜である。麒麟によく似るが、麒麟は1角、竜馬は2角、麒麟は牙を持つが竜馬には牙がない。竜馬には鱗がある。
さらに下が子ども達の透かし彫り、俗に「唐子遊び」と呼ばれる中国の子どもの彫刻が20組あるという。そこに混じってほかにいくつか花鳥の図柄もある。

正面下段に7組ある人物彫刻は、中国の故事から題材をとっている。右端から4番目、中央にある彫刻は「周公聴訴」。古代中国の政治家・周公は髪を洗いながら訴人の訴えを聴いたという故事を表している。ここでは一番左に見える彫刻である。その右の右端から3番目は「訴人」である。右から2番目は君主の四芸といわれた「琴棋書画の遊」のひとつ、碁を打つ人々であり、右端は同じく琴を弾く人々である。
正面に9組見える唐子遊びのうち中央は、「司馬温公の瓶割」という。中国の政治家・司馬は子ども時代、水瓶に落ちた友達を救うため大切な瓶を割った。生命の大切さを教える故事である。ここでは一番左上に見える場面である。割れてこぼれた水が青く見える。

左端から1番目の人物彫刻は、「琴棋書画の遊」のひとつ、画を見る姿であり、2番目は「展書(習字)」を表す。3番目は「孔子観河」で、孔子が弟子達と河を眺め思いにふけっている。

彫刻が余りにもたくさんあって、一日中見ていても飽きないことから「日暮らし門」とも呼ばれる。額の下にある唐子遊びのうち中央の「司馬温公の瓶割」は、ここでは一番左に見える。一番右は「孟母三遷」で、孟子の母が孟子の勉強を左から見ている場面である。

陽明門は東照宮随身門であるから、正面左右には随身(ずいじん)が弓を持って東照宮を護っている。

陽明門の左右にのびる回廊の外壁には、国内最大級といわれる花鳥の彫刻が飾られている。一枚板の透かし彫りには極彩色が施されている。