半坪ビオトープの日記


先日、北茨城の五浦海岸から勿来、磯原、高萩の辺りを廻ってきた。
五浦海岸といえば岡倉天心が建てた六角堂が有名だが、東日本大震災津波によって損壊、消失してしまった。そこで最初に六角堂が見渡せたという五浦岬公園に行った。

展望台を探したが六角堂があった所が見えるまで進まずに、海が見えるだけで満足して戻ってしまった。海の向こうにはいわき市小名浜の石油コンビナートが見えた。

岬公園には大津岬灯台もあったのだが、地震で損壊したあとの再建工事中の姿が間近に見られた。
損壊前の大津岬灯台は、昭和35年の初点(灯)で昭和63年に光力増大がなされたという。

東日本大震災津波によって損壊、消失した六角堂は再建工事中だった。岡倉天心が建てた六角堂(観瀾亭)は、天心没後財団が管理していたが、戦後の理事長横山大観茨城大学に寄贈したので、大学は五浦美術研究所を設立して管理した。現在茨城大学が復興基金を設立し、3月竣工を目指して再建工事中である。
2013年には、横山大観から見た天心の実像に迫る映画「天心」が公開される予定だ。

五浦美術文化研究所の向かいには岡倉天心の墓がある。東京の染井霊園の墓から分骨されたものであり、「我逝かば 花な手向けそ浜千鳥 呼びかふ声を印にて 落ち葉に深く埋めてよ 十二万年明月の夜 弔ひ来ん人を松の影」なる辞世の句などの遺志に沿っている。

天心の墓の近くに「黄門の井戸」がある。元禄年間、光圀が領内巡視の折この地を訪れた際、喉の渇きを覚えたため、供の者が探して畦の脇に古井戸を見つけた。水は底深く飲めなかったが、光圀が覗き見たとき杖が井戸のふちにあたり、水がこんこんと湧き出て、難なく飲むことができたという。