半坪ビオトープの日記


ふかうら文学館の先を左に上ると、老杉・古木が林立する真言宗円覚寺がある。大同2年(807)坂上田村麻呂蝦夷征伐の際、ここに陣屋を置き観音堂を創建し、聖徳太子作とされる十一面観音菩薩像を安置したと伝えられている。また開基は貞観年間(859-877)、大和の修験者円覚ともいう。

壮麗な山門を入ると、中央に澗口観音堂が見える。澗口(まぐち)とは、港の入口を意味する。石段の左に梵字の痕跡を残す宝篋印塔がある。

澗口観音堂の本尊である十一面観音菩薩像は、33年毎に開帳される。藩政時代には津軽家の祈祷所として何度も修理や再建が行われた。

左にある金毘羅堂には、西廻り海運の船乗りの安全を祈願した船絵馬や、海難に際して切ったまげを無事助かった後に奉納した髷額も多数奉納されている。

右にある薬師堂の堂内にある厨子(重文)は、藤原基衡が寄進したと伝えられる。寛永10年(1633)に越前敦賀の豪商庄司太郎左衛門が奉納した「北国船の船絵馬」は、当時の船の形がわかる貴重な資料とされている。

境内にある樹高30m、樹齢1100余年という老杉は、海上が荒れた日に梢に不思議な明かりが見え船を救ったという。そのため「竜灯の杉」と名付けられた。円覚寺の裏山は日和見山となっていて、風待ち湊の深浦港の船のために風の様子を調べていたことがわかる。