半坪ビオトープの日記


鎌倉時代津軽を席巻していた安東氏は、十三湊を根城に日本海交易に活躍していたが、安東氏が南部氏により追われた中世末期に十三湊は衰退した。その後、藩政時代に津軽藩の御用港として栄えた鯵ヶ沢は、日本海西廻航路の寄港地としても賑わい、寛文年間(1661-72)には奉行所も置かれた。江戸時代から漁業も盛んで、明治期にはニシンやイワシの大漁が続き、以来県内随一の漁港となっている。
奉行所跡の右手奥に「城の下の井戸」がある。津軽2代藩主信枚の弟、信隆が町内に掘らせた七つの井戸のひとつで、水質が大変よく藩政時代に諸国往来の船が港に入るとこの井戸の水を汲んだという。

「海の駅わんど」には、イカなど近海の魚や水産加工品、農産物の直売所があり、2階には鯵ヶ沢相撲館(舞の海ふるさと桟敷)がある。

昔から相撲が盛んな鯵ヶ沢からは、元関脇の綾川、元小結の舞の海が相撲取りとして活躍した。舞の海の化粧回しなどの資料が展示されている。

童謡「赤い靴」のモデルになった少女「きみちゃん」の義父鈴木志郎が鯵ヶ沢出身という縁で、「赤い靴親子3人像」という銅像があったが、とても縁が薄いような気がする。

海岸線には「焼きイカ通り」があるように焼きイカ店が多く、「七里長浜きくや商店」の番犬、ブサかわ犬「わさお」が映画化されて一躍有名となっている。それでも、焼きイカ店はどこもわびしそうで、なかなか買う気になれない。きくや商店だけが繁盛している模様だ。

わさお外出中」という札があったので帰ろうとした時、わさおが元気よく散歩から戻ってきた。