半坪ビオトープの日記


鯵ヶ沢町役場の先に、鯵ヶ沢湾に面して旧郷社の白八幡宮がある。石の鳥居しか見えないが、その先の細い参道を右に上がっていく。

奥の石段を上がると朱色の二の両部鳥居がある。その先には三の明神鳥居と拝殿が見える。

拝殿の前に2基の御神燈がある。寛政6年(1794)大坂の商人達が航海の安全を祈願して奉納したものである。
社記によれば、大同2年(807)坂上田村麻呂蝦夷征伐の祈願所として太刀と白旗を集めて創設したという。祭神は誉田別尊、白鳥大明神などを祀る。

右奥の社殿を囲む玉垣は、鯵ヶ沢湊を利用した人々や、船問屋達が奉納したもので、文化13年(1816)に制作したことが刻み込まれている。弘化3年(1846)から明治20年代までに奉納された船絵馬群とともに町指定有形文化財に指定されている。
4年に一度行われる白八幡宮大祭は、古式ゆかしい衣装の人々が行列をなし、津軽の京祭りと呼ばれるように京都の時代祭などに似ているという。

拝殿と本殿の間にある、北前船によって出雲から運ばれてきた文化14年(1817)建立の狛犬は、阿吽の位置が反対で、普通右にある口を開けた阿が左にあって子狛を右前足外側に置き、普通左にある口を閉じた吽が右前足の上に大きな玉を持っていて、非常に珍しい組み合わせという。現在の本殿は文政13年(1830)の建立である。

境内には阿部比羅夫が腰掛けたと伝えられる「比羅夫石」がある。しかしこれは女性を形どった陰陽石の一つと考えられている。一説には創建者の田村麻呂の腰掛石ともいわれている。

さらに、寛文9年(1669)に「湊に毎夜灯明を立てよ」との灯明の儀が公儀から申し付けられたことを、文政4年(1821)に記した「白八幡宮常灯碑」がある。海運史上貴重な文化財とされる。