半坪ビオトープの日記

ゴリラ岩、喜念浜海岸、闘牛場なくさみ館

ゴリラ岩
二日目は、徳之島町の亀津から南の伊仙町を巡り、西部を北上して天城町北部まで進む。まずは、海岸沿いにあるゴリラ岩を眺める。ゴリラの横顔に似ているから名付けられたというが、向かって右手から見ないとゴリラに似ている姿は認識しにくいようだ。

ゴリラ岩
地質学的に徳之島の土壌は、四万十帯の白亜紀帯と古第三期曉新世の花崗岩を基盤として、その上に更新世琉球層群が重なっている。このゴリラ岩も、石灰岩花崗岩類の貫入の上、潮の満ち引きによって岩が削られて現在の形になったと考えられている。

喜念浜海岸
伊仙町に入ると、県道80号線の左手(東)に喜念浜海岸がある。浅瀬が続くビーチは徳之島で一番美しいといわれる。波打ち際までサンゴが見られ、熱帯魚の楽園が広がる。牛が散歩に訪れることもあり、のんびりした風情が楽しめるという。

イソヒヨドリ
喜念浜海岸から県道に戻る辺りで、見慣れない鳥を見つけた。奄美大島周辺にだけ住むといわれるルリカケスに似ているが、やはりイソヒヨドリMonticola solitarius)の雄であろう。アフリカからユーラシア大陸インドネシアなどに広く分布する。ヒヨドリ科ではなくヒタキ科である。

闘牛場なくさみ館
伊仙町は、世界一闘牛に熱い島」として有名な徳之島の伝統文化である闘牛が、とりわけ盛んな町である。闘牛の歴史は約300年前の島唄にも残されており、古くから島の人々に愛されてきた。以前は島のあちこちに小規模な闘牛場が点在していたが、全島一大会など大勢の観客を収容できる屋根付きの闘牛場として、「なくさみ館」が10年ほど前に建立された。「なくさみ」とは、もともと「慰める」の意味で、江戸時代には年貢として黒糖を強制的に収奪される過酷な労働条件の中で、農業や日々の生活の辛さを慰める存在として、闘牛だけでなく島唄や魚釣りのことも「なくさみ」と呼んでいたという。

闘牛場なくさみ館
闘牛の大会は、初場所(正月)・春場所5月)・秋場所10月)・の年3回、そのほか成人式や卒業祝いなど不定期にも開催され、年間約20回の大会があるという。大会がない日も闘牛場の見学は可能で、併設の資料室で闘牛の歴史を学べるし、闘牛の様子のビデオ鑑賞もできる。大きいものは1000kgを超す牛同士の激しいぶつかり合いはまさに手に汗握る真剣勝負といえる。

闘牛場なくさみ館
「ワイド!ワイド!」(わっしょいの意)の掛け声とともに勢子が牛の綱を引いて入場。試合開始後、勢子が鼻綱を切ったところで真剣勝負。で突き刺すなどして戦い、片方の牛が逃げ出せば勝負ありだ。時間制限は設けられていない。各牛は重量で無差別級からミニ軽量級まで階級が分かれ、それぞれに前頭から横綱の番付が存在する。

闘牛場なくさみ館
土俵は1820m以内で円形と規定。三人いる審判は場外から判定を行い、牛と勢子だけが土俵に立つ。農民の生活に深く関わっているとはいえ、闘牛用の牛は子牛でも30万円、成長した牛は100万円を超えるといわれ、小屋も飼育代も必要になる。何より乳牛や肉用牛とは異なり、闘牛は戦うだけで何も生産しない。それでも我が牛を島1番の牛に育て上げるという家族の夢を一心に背負った牛たちの攻防に、試合会場は熱気と興奮に包まれる。結局のところ、闘牛が媒介するのは、共に島を生きる連帯感であり、互いの「なくさみ」なのである。

ガジュマルの巨木
「なくさみ館」の向かいの広場の片隅に立派な巨木が枝葉を広げていた。気根がたくさん垂れ下がっているので、多分ガジュマルであろう。

喜念・佐弁砂丘遺跡群
なくさみ館は県道の北側にあったが、県道に戻って南側の海岸に向かうと、喜念・佐弁砂丘遺跡群がある。喜念・佐弁砂丘遺跡群トマチン遺跡は、縄文時代晩期から弥生時代前期(約30002500年前)の遺跡で、上層からお墓、下層から貝塚が見つかっている。しかし、遺跡の説明板はあったが、海岸に降りる道が草に覆われていて、残念ながら遺跡を確認できなかった。

喜念・佐弁砂丘遺跡群トマチン遺跡
貝塚からは多くの土器、貝・魚・哺乳類の骨が出土している。お墓からは両側に平たい石を積む平積みの「石棺墓1」が確認された。琉球列島で最初の発見である。石棺墓1の内部は3段に分かれていて、上段に3体分、中段に1体分、下段に1体分の人骨が埋葬されていた。上段の人骨には新潟県糸魚川産のヒスイ玉などが一緒に収められていた。

ジャコウアゲハ奄美・沖縄亜種
遺跡入口付近の草むらで、ジャコウアゲハAtrophaneura alcinous)を見つけたが、腹部側面の赤色の毛は体節にそって背面にまで広がっているので、ジャコウアゲハ奄美・沖縄亜種(Atrophaneura alcinous ssp. loochooana)であろう。ジャコウアゲハは、本州より南西諸島まで分布するが一般に産地は局部的である。ウマノスズクサを食草とする。和名は、雄の成虫が麝香のような匂いを発することに由来し、その成分はフェニルアセトアルデヒドである。南西諸島の亜種は、屋久島、奄美・沖縄、宮古島八重山と四つ認められている。吸蜜している白い花は、シロバナセンダングサBidens pilosa var. radiata)である。コセンダングサの白花種で、熱帯に広く分布する侵入植物。中部地方以南の道端や荒地に多い。

アオタテハモドキ
こちらの風変わりな蝶は、アオタテハモドキ(Junonia orithya)の雌である。日本では南西諸島に分布し、国外ではアフリカから中近東、中国南部、東南アジア、南北アメリカ大陸にも分布する。雄の翅色は輝く青藍色で非常に美しいが、雌は全体に茶褐色で目立たない。食草はキツネノマゴである。

ゲットウ月桃
こちらの花は、沖縄や種子島でも見かけた、ゲットウAlpinia zerumbet)である。月桃はショウガ科ハナミョウガ属の常緑多年草沖縄県から九州南部に分布する。名前は台湾での現地名。荷を括るのに使うことから大東島や八丈島では「ソウカ」と呼ばれる。沖縄では「サンニン」とも呼ばれ、由来は種子の漢方健胃薬で使用される「砂仁(シャジン)」に基づくといわれるが、諸説ある。花弁は厚みがあり、唇弁は黄色で中央が赤く美しい。

牛の子
迂回して県道に戻る途中、牛の子供が飼われている姿を発見。闘牛用だとすると戦うことだけのために育てられているが、徳之島は黒毛和牛の生産地でもあるので、どちらか素人には見極められない。けれども、のんびりしていてなんとも可愛らしい。