半坪ビオトープの日記

舟志乃久頭神社、琴の大銀杏

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舟志乃久頭神社

比田勝から上対馬町を南下すると、深い入江の舟志湾の奥に舟志(じゅうし)の集落がある。舟志川沿いには約7kmにわたる紅葉の群生地があり、「舟志のもみじ街道」と呼ばれ対馬一の紅葉を誇っている。その入り口付近の県道沿いに、舟志乃久頭神社が鎮座していた。

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舟志乃久頭神社の一の鳥居

舟志乃久頭神社の由緒は不明。一の鳥居は川に面していて、川から上がってくるような神事でもあるのかと思われる。

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一の鳥居の扁額

舟志乃久頭神社は、かつて亀の甲羅で吉凶を占う亀卜(きぼく)所であった。亀卜とは、海亀の腹甲を薄くはぎ、波波迦の木(ははかの木)を焚き、甲羅に押し付けたときのひびを見て占い、神のお告げを伝える神事である。波波迦の木とはウワミズザクラ(上溝桜、Padus grayana)の古名で、古代の亀卜で溝を彫った板(波波迦)に使われたことに由来する。古事記の天岩屋戸の段に「天児屋命太玉命をよび、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた」とある。多久頭魂神社があった対馬南端の豆酘と同じように極めて古い亀卜の神事が伝わる当所も、かなり古い集落であったことが推測される。一の鳥居の扁額には「久頭乃神社」と彫られている。狭い間隔で四の鳥居まで確認できる。

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三の鳥居、四の鳥居

舟志乃久頭神社は祭神として、神皇産霊神カミムスビ)と多久頭魂神を祀る。神皇産霊神は多久頭魂神の母神である。豆酘の多久頭魂神社の際にも述べたと思うが、対馬固有の多久頭魂神が古事記の天地初発の三神、アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カムムスビのうち、タカミムスビとカムムスビの子が対馬固有の神・タクズダマであることに留意したい。対馬タカミムスビを祀る神社は豆酘の高御魂神社だけであり、カムムスビを祀る神社は佐護の神御魂神社と舟志乃久頭神社だけである。さらに対馬固有の神・タクズダマを祀る神社は、佐保の天神神社と佐護の天神多久頭魂神社と富浦の天神多久頭魂神社に加え、豆酘の多久頭魂神社と四社を数える。これをどう捉えるか。素人の勝手読みとしては、対馬での古事記の元になる神話には最初にタクズダマが登場し、古事記編纂の後にタカミムスビ・カムムスビの神が付け加えられたのではないか、と推測される。

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舟志乃久頭神社の拝殿

三浦佑之の「読み解き古事記神話編」(朝日新書)によると、古事記の天地初発の三神のうち名前だけで何の働きもしないアメノミナカヌシは、神話を整える最後の段階で加えられたものであろうという。また、タカミムスビ・カムムスビの神も対ではほとんど現れず、タカミムスビは主にアマテラスの摂政のような存在で、カムムスビはスサノオやオオナムヂなど出雲に関わる神々を手助けする場面に登場する。その働きがまさにムス(生)という霊力に相応しく母神的な性格を持ち、ムスヒという生成に関わる神の属性としてきわめて自然である、という。

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拝殿内部

拝殿内部を見てみると、天皇上皇の写真はあるが、拝殿の内装は最近改装された様子が窺える。

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本殿

本殿の鰹木5本と先端が垂直の外千木を見ると、主祭神男神なので、神皇産霊神は多久頭魂神の母神であるから、多久頭魂神が主祭神と読める。しかし、最近ではこの判断方が正しいか疑問が提出されているが。

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層塔形の石塔

境内には石灯篭がたくさん奉納されているほか、層塔形の石塔もいくつか対で奉納されていた。

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琴の大銀杏

舟志からさらに南下して上対馬町の琴(きん)の集落に入ると、長松寺に大きな銀杏がある。推定樹齢は1500年といわれ、「琴の大銀杏」と呼ばれる。「日本最古のイチョウ」「大陸から日本に伝わった初のイチョウ」との伝承があり、「琴のイチョウ対馬の親木、胴の周りが三十と五尋」と対馬各地の地搗き唄で歌われていた。幹まわり12.5m、樹高40mとして、1961年に長崎県の天然記念物に指定されているが、2004年にカメラマンの高橋弘氏が測定したところでは、樹高23m、幹周り13.3mという。

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琴の大銀杏

記録によると寛政10年(1798)落雷のため樹幹が裂け、火災が起こって幹に空洞ができた。その空洞には近年まで稲荷の祠が祀られていたという。