半坪ビオトープの日記

ラファエロの間、システィーナ礼拝堂


さて、ラファエロの間へ向かうには、地図の間という幅6mのギャラリーを駆け抜ける必要がある。左右の壁の地図もさることながら、間接照明によって輝いている天井のスタッコ装飾が120mも続くのは圧巻だ。

壁面の大きな地図は、1580-83年に教皇グレゴリウス13世が描かせたイタリアや教皇領の精巧なフレスコ画で、40点もある。この地図はローマの北に位置するエトルリア地方。現在のトスカーナ州南部に相当する。小さな山々や川まで細かく描かれている。アップされたジェノヴァヴェネツィアの地図には教会などの建物も描かれている。

地図の間の出口には、バチカンの紋章とそれを取り囲む塑像が仰々しく聳えている。

地図の間を抜け小さな「ソビエスキ王の間」を過ぎると、「インマコラータ(無原罪)の間」に入る。「無原罪の御宿り」つまり、聖母マリア処女懐胎をモチーフとしている。

いよいよバチカン宮殿の奥にあるラファエロの間に入る。ラファエロが25歳から37歳でこの世を去るまで描き続け、彼の死の四年後に弟子たちによって完成された部屋だ。「コンスタンティヌスの間」、「ヘリオドロスの間」、「署名の間」、「ボルゴの火災の間」の4部屋が連なっている。
最初の「コンスタンティヌスの間」は一番大きく、ラファエロの死後弟子のジュリアーノ・ロマーノにより描かれた。この戦いを機にキリスト教が公認されたという「ミルヴィオ橋の戦い」の様子が描かれる。この絵は「コンスタンティヌス帝の洗礼」。左の半分は修復工事用足場に隠れて残念ながらよく見えなかったので、右側と天井画を撮った。

次は「ヘリオドロスの間」で、1511年から1514年にかけてラファエロにより描かれた。この絵は「大教皇レオ(1世)と(フン族の王)アッティラの会談」を描いている。

3番目の「署名の間」は、ラファエロが最初に手掛けた部屋である。この部屋はユリウス2世(ラファエロパトロン、資金提供者)の書庫であったが、元はここに使徒座署名院最高裁判所が置かれていたことからその名がある。この部屋の絵画の主題は、世俗的及び霊的な知恵と、ルネサンス人文主義が共に認めるキリスト教ギリシャ哲学の調和である。この部屋で教会会議が行われ、また重要書類への教皇の署名が行われたことから、知恵と調和は最も適切な主題とされる。ラファエロが1508年または1509年、最初に描いたのはこの「聖体の論議」である。この名は秘跡に対する祈りのことを示す古い呼び方であり、絵画中で地上と天上の両方に広がる存在として教会が表現されている。

1509年の終わりにラファエロは「聖体の論議」の向かい側に、この「アテネの学堂」の絵を描き始めた。この部屋の隣のユリウス2世の書庫が、学問の部屋と位置付けられていたため、哲学的な理性によって真実を探ることが主題となっているとされる。ラファエロ作品中、最も広く知られているものである。

最後の部屋は「ボルゴの火災の間」である。この部屋は、ユリウス2世の後を継いだレオ10世が音楽に興ずる間とされた。絵画の題材はレオ3世とレオ4世の生涯から取られ、この絵は「レオ3世のカール大帝への授冠」である。

この「ボルゴの火災」は、「教皇の書」に記されているレオ4世による奇跡を描いた絵である。カトリック教会によると、847年にローマのボルゴ地方で起こった火災を、レオ4世が祝福により鎮火したとされる。この絵はラファエロが構図を完成させたが、弟子たちがフレスコ画として完成し、他の3つの絵にはラファエロの関与はないとされる。

「ボルゴの火災の間」の最後の絵は、「オスティアの戦い」である。849年にオスティアの海戦で、レオ4世がサラセン人を打ち破ったことを描いている。

最後に宮殿の一番奥にあるシスティーナ礼拝堂に入る。ローマ教皇を選出するコンクラーヴェが開催される場所でもある。元々バチカン宮殿にあった古い礼拝堂を、ローマ教皇シクストゥス4世が1477年から1480年にかけて建て直させた建物で、教皇名に因んでシスティーナ礼拝堂と名付けられた。その際、ボッティチェッリらが『旧約聖書』から「モーセの生涯の物語」、『新約聖書』から「キリストの生涯の物語」のフレスコ壁画を描いた。その後、ローマ教皇ユリウス2世の注文で、ミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた『旧約・創世記』の「アダムの創造」「楽園追放」「ノアの洪水」などの物語や預言者・巫女の姿の天井画と、ローマ教皇クレメンス7世が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけてミケランジェロが描いた祭壇奥の壁画『最後の審判』は、ミケランジェロの絵画作品の頂点とされている。
この『最後の審判』には400名以上の人物が描かれ、中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下しており、左側には天国へ昇天していく人々が、右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されている。右下の水面に浮かんだ舟の上で、亡者に向かって櫂を振りかざしているのは冥府の渡し守カロンであり、アケローン川を渡って地獄の各層へと振り分けられていくという。ミケランジェロはこの風景を描くのに、ダンテの『神曲』地獄篇のイメージを借りたとされる。
旧約聖書をよく理解しているわけではないが、天井画も壁画も迫力があって圧倒され、時間がいくらあっても鑑賞を切り上げるのは容易ではない。礼拝堂内は撮影不可なので、『最後の審判』のパンフの切り抜きだけ載せる。