半坪ビオトープの日記

サン・ピエトロ大聖堂


サン・ピエトロ大聖堂の正面にある楕円形の広場は、サン・ピエトロ広場という。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により、1656-67年に建設された。広場の中央には特に目立つ背の高いオベリスクが建っている。高さはオベリスクのみで25.37mあり、バチカンオベリスクと呼ばれる。このオベリスクはAD37年にローマ皇帝カリグラによってアレキサンドリアからローマに運ばれ、カリグラ円形競技場に建てられたが、1586年に法王シクスタス5世により現在地に移設された。古代エジプト期に制作されたオベリスクの世界に現存する30本のうち13本がローマにある。他の全てが中世に一度は倒れて地中に埋もれたが、これだけが移設はされたが一度も倒れたことがないとされる。

ベルニーニはサン・ピエトロ広場を、幅240mもある巨大な楕円形として完成させたが、4列に並べられた合計372本の石柱が広場を囲み、柱の上には140体もの聖人像が立ち並んでいる。
サン・ピエトロ大聖堂は、使徒ペトロの墓所を祀る聖堂として4世紀に創建されたバジリカが始まりで、1452年に発せられたニコラウス5世の再建の命の後、1506年にブラマンテにより着工され、以後、サンガッロ、ラファエロミケランジェロらが再建に取り組み、2代目として完成されたのは1626年のこと。カトリック教会の総本山で、高さ約120m、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇る。

サン・ピエトロ大聖堂は三廊式バジリカ形式で、中央に広い身廊、その両脇に側廊があり、交差部に翼廊が伸び、ベルニーニのバルダッキーノ(大天蓋)の上にミケランジェロ設計のクーポラがある。聖堂の長さは186m、天井まで44m。クーポラの直径は43m、高さは116m。クーポラの窓から神々しい光が差し込んでくる。

大天蓋のあるところが内陣で、その奥が後陣となり、その奥の突き当りにカテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)がある。ここに見える範囲が、16世紀にブラマンテとミケランジェロが設計したところである。

右側廊には、大聖堂の1番の見所、ミケランジェロピエタがある。ピエタとは十字架から降ろされたイエスを抱く聖母マリアの像のことである。

1499年、若きミケランジェロ23歳の作品である。この像によってミケランジェロは名声を得たといわれる。

ピエタの先には、イノケンティウス11世の墓がある聖セバスティアヌスの礼拝堂がある。迫害によって杭に縛られたセバスティアヌスは身体中を矢で射られても死ななかったといわれる。

これは教皇グレゴリウス13世の墓碑。グレゴリオ暦、つまり現在の太陽暦を採用した人である。

こちらの祭壇画は、ドメニキーノ作の「聖ヒエロニムスの聖体拝領」である。聖ヒエロニムスは西方教会の四大博士に列せられる学者で、ローマで神学を学んだ後、4世紀の終わりにシリアの砂漠に居を構え、瞑想と思索に耽った。シリアの隠遁生活で、ある日一頭のライオンが現れた。悲しげなライオンの顔を見たヒエロニムスは、一本の棘が足に刺さっていることに気づく。その棘を取ってやると、ライオンはその恩を忘れず、生涯ヒエロニムスに付き従うようになったという逸話が残っている。それゆえ、聖ヒエロニムスの聖画には必ずといってよいほどライオンが描かれるという(左下)。

後陣最奥のペテロの司教座は、晩年のベルニーニが製作したもので、雲に浮いた司教座を4人の教会博士が支えている。その奥の神の光の中で、平和の鳩が羽を広げている。
手前の交差部にある天蓋を囲むようにクーポラを支える4つの支柱には、サン・ピエトロ大聖堂の宝物である4つの聖遺物を祀る祭壇がある。左の「NC VNA FIDES」の文字の下には聖遺物1「キリストの顔が残ったとされる布」があり、その下にはゴルゴダに向かうイエスの顔の汗をぬぐったという聖女ベロニカが立つ。右の柱には聖遺物2「キリストが架けられた十字架の断片」があり、その下にエルサレムで地中から十字架の断片を掘り出しローマに持ち帰ったという、コンスタンティヌス帝の母、聖女ヘレナが立って十字架を支えている。

ベルニーニの大天蓋の上にはミケランジェロが設計したクーポラがあり、美しいモザイク画が描かれている。クーポラの縁周りには「あなたはペテロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける」(マタイ16:18,19)と書かれている。しかし、このクーポラはミケランジェロが亡くなった後に完成したので、この姿を実際に見ることはできなかったという。

大聖堂の左扉から外に出るとそこには警備に当たっているスイスの傭兵が立っている。1506年フランスと神聖ローマ帝国はイタリアの支配権をめぐり争っていたので、教皇ユリウス2世はスイス傭兵を採用した。1527年5月6日、「ローマの略奪」で、フランスと手を組んだ教皇クレメンス7世は、神聖ローマ皇帝カール5世に攻め込まれ、殺戮と略奪の限りをつくされた。この時149人のスイスの傭兵が命を落としたといわれる。教皇は生き残った傭兵に守られサンタンジェロ城まで避難できたという。その後もスイス傭兵の篤い忠誠心と勇敢さが今日まで引き継がれている。

大聖堂のファサードは2階構造で、8本の円柱、6本の半角柱、4本の角柱が支える。屋上にはキリストと洗礼者ヨハネ、ペトロ以外の11人の使徒の像が並んでいる。聖人像の高さは5.7mある。

サン・ピエトロ広場は、サン・ピエトロ大聖堂がすべての教会の母であることから母のように両腕を広げて信者たちを受け入れることを表現したといわれる。広場には円柱の中心を示すマークがあり、そこに立つと重なり合う4列の円柱が一本に見えて、広場の外の景色を見ることができるという。