半坪ビオトープの日記

バチカン美術館、絵画館


バチカン美術館(Musei Vaticani)は、バチカン市国にある、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵展示する世界最大級の美術館であり、ヴァチカン博物館とも表記する。カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂の北側に隣接するバチカン宮殿の大部分を占める巨大な美術館であり、500年以上の歴史を持つ新旧さまざまな美術館の複合体である。
入口のかなり前から壁際に多人数の行列が並んでいて驚く。もちろん予約しておいたが、予約者用の行列も長くてどこが最後尾か判断に困る。
入口上部には、ミケランジェロラファエロの彫刻が人々を見下ろしている。

バチカン美術館には、古代ギリシャ・ローマ彫刻、エジプト美術、エトルリア美術、現代キリスト教美術などの専門美術館のほか、ミケランジェロの絵画で知られるシスティーナ礼拝堂、中世の教皇庁の建物の一部(ラファエロの間などを含む)も見学コースに含まれ、これらを総称してバチカン美術館と称している。
セキュリティチェックを済ませてバチカン美術館に入ると、ピオ・クレメンティーノ美術館やキアラモンティ美術館などに囲まれたピーニャの中庭がある。庭の中央にある直径4mの金色に輝くオブジェは、「球体を持つ球体」という、アルナルド・ポモドーロの作品(1990)である。

ピーニャの中庭の北側には巨大な壁龕(ニッチ)があり、その中央にブロンズ製の大きな松ぼっくり(ピーニャ)がある。このピーニャは1〜2世紀頃に鋳造されたもので、かつては鱗片の穴から水が吹きだす噴水だったという。ピーニャの台座はアレクサンデルセウェルス帝(在位222-235)の浴場の柱頭だったものであり、両脇の二羽の孔雀はハドリアヌス帝(在位117-138)が建設した「サンタンジェロ城」にあったもので宇宙の不滅の象徴とされる。ピーニャの両側の階段はミケランジェロの設計による。

バチカン美術館の起源は、1503年に教皇になったユリウス2世が、バチカン宮殿内の「ベルヴェデーレの中庭」に、枢機卿時代に収集していた『ベルヴェデーレのアポロン』などの古代彫刻を配置した頃にさかのぼる。ピオ・クレメンティーノ美術館は、クレメンス14世とピウス6世のコレクションによる古代彫刻の傑作が並ぶ美術館で、「八角形の中庭」、「動物の間」、「ミューズの間」、「円形の間」、「ギリシャ十字の間」などがある。
八角形(オッタゴーネ)の中庭」は別名「ベルヴェデーレの中庭」とも呼ばれ、設計はミケランジェロによる。1506年に発見された後期ヘレニズム時代の傑作とされる「ラオコーン」の隣には、この「チグリス川の神」の彫像が横たわっている。

こちらの「ベルヴェデーレのアポロン」の彫像は、紀元前340年頃に古代ギリシャで制作されたブロンズ像を紀元2世紀にコピーした高さ224cmの大理石製であり、作者はレオカレスといわれている。ベルヴェデーレの中庭には、他にも「ヘルメス像」など優美な彫像がいくつも並び壮観である。

リアルな動物たちが居並ぶ「動物の間」の次は、「ミューズの間」である。ミューズの間の中央には、「ベルヴェデーレのトルソ」という紀元前1世紀のギリシャ彫刻があり、天井には「アポロンとムーサたち」というトンマーゾ・コンカ作のフレスコ画がある。

円形の間は18世紀にパンテオンを意識してシモネッティが作った部屋で、中央には希少な赤大理石の一枚岩で作られた巨大杯があり、部屋を取り囲むように彫像が並べられ、床はギリシャ時代のモザイクで飾られている。彫像の中で一際目立つのは、金色をしたヘラクレス銅像である。

ギリシャ十字の間には、4世紀に赤い紫班岩で造られた石棺が二つ安置されている。こちらの石棺は、古代ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスの母の「聖ヘレナの石棺」。もう一つは皇帝の娘の「コンスタンティアの石棺」である。壁面には精巧なレリーフが施されている。

ここで一度バチカン宮殿から出て、西隣にある絵画館に入る。絵画館にはビザンチン時代からラファエロダヴィンチ、カラヴァッジョなど、ルネサンス期にかけての名だたる画家たちの作品が多数展示されている。これはジョットのステファニスキ三連祭壇画『王座のキリストとペテロとパウロの殉職』であり、1315年頃、旧サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇のために制作されたもの。

これはラファエロの下絵に基づきベルギーで造られた『最後の晩餐』のタペストリー。

これはラファエロ・サンツィオ作の『キリストの変容』で上下構成の作品。上部はキリストが神の子であると告げられ3人の弟子がひれ伏す場面、下部は悪魔に取り憑かれた少年に奇跡を起こす場面が描かれる。ラファエロの最後の作品で、精神的遺書だといわれている。

『キリストの変容』の両隣にもラファエロの作品が並べられている。右隣にあるのが、『聖母の戴冠』でラファエロ初期の作品であり、上部は聖母マリアに冠を授けるキリスト、下部はそれを見守る聖人たちが描かれる。左隣にはラファエロ作の『フォリーニョの聖母』がある。雲に乗る聖母子と洗礼者ヨハネらが描かれる。

こちらはレオナルド・ダ・ヴィンチが28歳頃作の『聖ヒエロニムス』(1480-82頃)である。荒野での苦行に耐えるヒエロニムスと、足元には彼を見守るライオンが描かれるが、未完成といわれる。ヒエロニムスは340年頃ダルマティアで生まれた神学者で、シリアの砂漠でヘブライ語を学び、のちにローマで聖書をラテン語に訳した。それが20世紀の第2バチカン公会議までカトリックのスタンダードとなり続けた「ウルガータ」訳聖書である。

これはラファエロ・サンツィオとラファエロの弟子であるジュリオ・ロマーノ及びイル・ファットーレとの共作の『聖母戴冠』である。他にもベルニーニ作の『キリスト降架』やカラヴァッジョ作の『キリスト降架』など傑作は数え切れないほどある。

こちらはベルニーニの『天使像』の石膏によるモデルであり、サン・ピエトロ大聖堂の「栄光の司教座」で教会博士と天使を制作するのに使用したという。