半坪ビオトープの日記

秋吉台、冠山


仙崎から今回最後の観光地、秋吉台秋芳洞に向かう。北から秋吉台道路を南下し始めても、大正洞のあたりまでは普通の景色であった。ところが大正洞を過ぎてしばらくすると急に禿山に石灰岩がゴロゴロと露出するカルスト地形が現れた。東に見える真名ヶ岳の南面のウパーレと呼ばれる谷状地形の底には湧水があり、湧き出る水は15m流れた後、再び地中に吸い込まれ「帰り水」と呼ばれる。大雨が降ると排水が追いつかず、ウパーレの底に水深10m前後の「一時湖」と呼ばれる湖ができる。また、ここでは石灰岩の地層の堆積順序が逆転している構造が見られ、「秋吉造山運動」と呼ばれて日本列島の一部が誕生した地殻変動と考えられている。

まもなく「地獄台」の標識が現れるが、実際にはこの左手奥(西)にあって、この道路から見ることはできない。

やがて秋吉台散策の拠点である長者ヶ森駐車場に着く。カルストロードをくぐって西に5分ほど歩くと長者ヶ森がある。3億年前は一帯が海だったという日本最大のカルスト台地で、唯一の原生林といわれる。
平家物語に関連して、平家の武将・大田芳盛が壇ノ浦の戦いで敗れた後にこの地を徐々に制圧したという話が残されている。
また「秋芳洞周辺、山口の昔話」によると、山の福の神がついた金持ちの女と貧乏な男が結婚をして、贅沢に慣れた男の行いに立腹した福の神が米を全部虫や蛾にして立ち去ってしまった後、男が何をしても失敗ばかりで長者屋敷も失い一家は行方知れずになった。それから幾年月、かつての長者屋敷の跡に森ができ、それが今の長者ヶ森なのだという。

長者ヶ森の中には「古井戸の跡」や「女郎ヶ池(泉)」、祠などがあるそうだが、虫がいそうなので覗くだけにした。入口付近には赤いヤブツバキ(Camellia japonica)の花が咲いていた。

長者ヶ森から秋吉台の散策としては、北に見えるこの手近な北山(367.6m)もあるが、秋吉台の中心である地獄台(409m)にぜひとも登ってみたいので、この北山を右に見ながら左手(西北)にある冠山(377m)に登り始める。

冠山に向かう道の両脇にも山焼きの跡が見られる。1日の野焼きでは日本最大規模といわれる「美祢市秋吉台山焼き」は、草原を維持し山火事を防ぐ目的で600年以上の伝統があり、今でも毎年約1500haの区域に火入れを行っている。もちろん長者ヶ森は燃やさず除いている。

後ろを振り返ると、長者ヶ森と駐車場の向こうに長者ヶ峰(376.4m)が見える。

遠くに見えていたカルストの石灰岩がようやく目の前に現れてきた。秋吉台石灰岩は、石灰質の殻や骨格をもった生物の遺骸やそれらに由来する石灰質の砂や泥が大量に集積してできた堆積岩で、それらの生物が化石となって含まれる。これらの化石は古生代石炭紀ペルム紀(3億6千万〜2億5千万年前)のもので、暖かい浅海に生息していた種類からなる。造礁性の種類も多く、秋吉台石灰岩層をサンゴ礁起源のものと考える根拠となっている。

大きな石灰岩柱が増えてくると、右前方にも無数の石灰岩柱で埋め尽くされる広大なカルスト地形が現れてきた。秋吉台カルスト台地は、北東方向に約16km、北西方向に約6kmの広がりを有し、台地上の総面積は54k㎡、石灰岩の分布総面積は93k㎡である。

右手(東)に見える北山あたりになってようやく石灰岩が少なくなるようだ。

冠山(377m)の頂上は、大きく丸くなり岩がゴロゴロしていて、どこが山頂だかわかりにくい。向こうに地獄台が見えてきたのでこの辺りが山頂だろう。