半坪ビオトープの日記

本町通り、新町通り


カトリック教会の前から殿町通りを振り返ると、両側になまこ塀が続いていて、津和野の武家屋敷の風情を最も感じさせる景観といえる。

教会を過ぎると、銀行や酒屋・和菓子屋・雑貨屋などの商家が並ぶ本町通りになるが、この通りも石畳が風情ある。

津和野町は清純な水と酒造りに適した寒い冬の気候、地元の酒米に恵まれ、3軒の蔵元がある。明治初期の創業以来、こだわりの酒造りを続けている古橋酒造もその一つである。良質の仕込み水は青野山の山麓の湧水「天泉」を使い、津和野産の酒米は「佐香錦」を使っている。

昔ながらの佇まいを残す酒蔵では見学も受け付けている。代表銘柄は「初陣」で、試飲もできる。

この店も蔵元、地酒の表示は見えるが、今は営業をしていない様子だ。

こちらは華泉酒造。享保15年創業以来、酒造り一筋に伝統の味と風格を守り、造り続けて260年を誇る。代表銘柄は地酒「華泉」。酒蔵ギャラリー「輿兵衛」も併設している。

こちらの店は、高津屋伊藤博石堂という由緒ある薬局。ここでしか購入できない森鴎外ネーミングの「一等丸(第3類医薬品)」を販売しているという。

本町通りが終わり、津和野駅に向かう駅通りから左に曲がった所にお旅所がある。津和野の風物詩ともいわれる、弥栄(やさか)神社の例祭で鷺舞という伝統芸能が奉納される場所である。国の重要無形民俗文化財に指定されている鷺舞は、山口の大内氏が取り入れていた京都祇園会の神事を吉見正頼が招来し、天文11年(1542)に初めて行われたものである。雌雄2羽の鷺の舞方を含め総勢47名の行列が神輿を先頭に町内10ヶ所あまりを奉納しながら巡行し、お旅所に帰って渡御を終える。

お旅所から本町通り・殿町通りの裏通りとなる新町通りを戻っていくと、すぐ右手に小さな観音堂がある。この観音堂は、津和野藩主亀井氏が鳥取県鹿野より移封後に建立した幸盛寺の境内にあった御堂で、聖観世音菩薩を本尊としている。ここに柳の小枝を納めた後始まる盆踊りが10日も毎晩踊り続けられる津和野踊りである。念仏踊系の風流踊であり、県の無形民俗文化財に指定されている。元幸盛寺があったこの場所には、その由来記が表示されている。

同じく右側にある妙寿寺では、花まつりに稚児白鷺行列と灌仏会が催されるようだ。

その先のやはり右側に、中田瑞穂生誕地の碑がある。明治26年(1893)に津和野で医師の3男として生まれ、東京大学医学部を卒業した後、新潟大学に日本初の脳神経外科を設立し、初めて大脳半球切除手術(いわゆるロボトミー手術)を成功させた。今ではその手術の有効性は否定されているが、日本脳外科の父といわれる。

次に小藤文次郎生誕地の碑がある。安政3年(1856)津和野で生まれ、藩校養老館で学んだ後、東京大学理学部地質学科最初の卒業生となる。日本地質学の父・岩石学の父と称された。