半坪ビオトープの日記

明神池


明神橋を渡って梓川右岸を左に少し下った後、右手の林の中を進むと大きな鳥居が建っている。ここから穂高神社奥宮の境内、つまり、神垣内(上高地)に入ることになる。

境内を進むと、右手に上条嘉門次のレリーフが設置されている。上条嘉門次は、明治時代に上高地で杣、猟師をしていて、ウォルター・ウェストン夫妻を北アルプスへ案内して有名になった。

レリーフの左手には嘉門次小屋がある。上条嘉門次は、明神池畔に小屋を建てて猟師をしていたが、山小屋としての営業は大正末期に長男嘉代吉の妻により始められた。現在、嘉門次小屋は国の登録有形文化財となっている。

小屋の前を進むと、明神池入口の右手に、穂高神社奥宮が鎮座している。
祭神は、穂高見命で日本アルプスの総鎮守、海陸交通守護の神であり、嶺宮は北アルプスの主峰、奥穂高岳(3190m)の山頂に祀られている。

穂高神社の小さな本殿は、「穂高造」と呼ばれる社殿である。基本は流造だが、屋根の勝男木が変わっている。一般の勝男木は屋根の嶺に直角に並んでいるが、「穂高造」では二本の勝男木が中央から左右の千木に斜めに立てかけられている。一説には、釣竿や船の帆柱を表しているという。
創祀年代は不詳だが、社伝によると、神代の昔、人跡未踏の穂高岳に祭神・穂高見命が降臨し、梓川流域の安曇筑摩地方を開拓したという。よって上高地は、神降地・神合地とも称した神聖な場所であり、当地の豪族、安曇氏が祖神を祀った古社でもある。

左手の社務所で拝観料を払って、穂高神社奥宮の神域(私有地)の中にある明神池を眺める。別名「鏡池」「神池」とも呼ばれる明神池は、梓川の古い流路が明神岳からの崩落砂礫によりせき止められてできた池であり、一之池と二之池からなる。池は標高約1425mに位置する。

明神岳から常に伏流水が湧き出ているため、明神池は冬でも全面凍結しない透明感あふれる水面が空を映し静寂に広がる。毎年10月8日にはこの池で、穂高神社奥宮例大祭があり、竜頭鷁首の船を浮かべて一年の山の安全を祈願する平安朝の神事が行われる。

池の間近に聳える明神岳、池畔に生えるケショウヤナギやクマザサの緑、池中に配された大小の岩石は、大自然の造形美そのもので驚嘆に価する。

池にはイチョウバイガモという珍しい水草が生え、イワナマガモオシドリなども見られる。湖面に映る針葉樹の姿にも神秘的な雰囲気を十分に味わえる。かつては三之池もあったが、土砂災害により消えてしまったという。